“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その10―
“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
◆要諦再読◆ ―その10
―
戦争の本質は民衆同士の殺し合いである
―どんな理由があろうとも
戦争は人間冒涜の究極の大罪であり
国権を発動し戦争を画策、加担した為政者は
すべて厳罰を免れ得ない―
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要諦再読 ―その10―
“戦争の本質は民衆同士の殺し合いである”
(PDF:651KB、A4用紙11枚分)
気候変動、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争と、めまぐるしく同時多発する惨禍。この世界的複合危機、混迷の時代にあって、世論はますます近視眼的で狭隘な視野に陥っていく。
今一旦、時間と空間を広げ、少なくとも冷戦後の歴史に視座を据え、そこから今日の時代状況とこの複合的危機の性格を確認しておく必要があるのではないか。
国民の戦争と平和に対する考え方が急速に後退、麻痺する中、この機に乗じて、新聞・テレビなどマスメディアに次々に登場する「軍事専門家」と称する評論家のゲーム感覚まがいの生命軽視、人間冒涜とも言える「戦争俗論」が横行、罷り通る今、わが身を見つめ直すためにも、19世紀ロシア文学を代表する文豪トルストイが『イワンのばか』(1885年)に込めた人間と社会への深い思想、そして『俘虜記』(1948年)の作家大岡昇平が自らの実体験から深めた現代戦争と人間への透徹した思索に今一度立ち返って、考えてみることが大切ではないだろうか。
少し長くなるが、以下の4つの項目に沿って話を進めたいと思う。