ご感想・書評」カテゴリーアーカイブ

『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』を読んでのお便り(橋本 智さんより)

 2018年3月5日に、橋本 智さん(栃木県下野市在住、栃木県立宇都宮白楊高等学校 農場長)から、拙著『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』(本の泉社、2018年2月刊)を読んでのお便りが届きました。
 以下に掲載いたします。末尾に橋本先生のご紹介を添えました。

『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』を読んで

橋本 智(栃木県下野市在住)

 新刊『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』(本の泉社)、一気に読ませていただきました。
 「“菜園家族”を基調とするCFP複合社会の構築と“森と海を結ぶ流域地域圏”の再生」への道について、私自身が現在農業高校に勤務していますので、ご著書を読みながら私なりに以下のようなことを考えてみました。
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『菜園家族の思想』を読んでのお便り(黒須正雄さんより)

 お正月明け早々2017年1月6日に、黒須正雄さん(東京都三鷹市在住)から、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年10月刊)を読んでのお便りが届きました。
 この中で、地元で取り組んでおられる「居場所」づくりのご活動の様子と、未来への抱負が語られています。
 あまりにも過酷な競争社会にあって、我知らず「自己責任」の思考に囚われ、自他ともに孤立に陥りがちな昨今、人と人とのあたたかなつながりをもう一度、取り戻そうとする実践は、大きな励ましになることと思います。
 以下に掲載いたします。

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『菜園家族の思想』へのご感想(久島恒知さん・その2)

 久島恒知さんからいただいた、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』へのご感想(その2)を掲載いたします。

『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』を読んで

久島 恒知(映像プロデューサー)

(その2)

 
 「菜園家族」型社会の萌芽という点で、僕が注目しているところがあります。
 それは、神奈川県相模原市の旧藤野町という小さな町で、芸術家や自然志向の人たちが移住して、地元の住民たちとともに「持続可能なまちづくり」を実践しています。農業、林業、再生可能エネルギー、地域通貨などです。

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『菜園家族の思想』へのご感想(久島恒知さん・その1)

 昨2016年末、久島恒知さん(千葉県柏市在住)から、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年10月刊)へのご感想が届きました。
 久島さんのご紹介と合わせて、2回に分けて掲載させていただきます。

◆久島恒知さんのご紹介◆
 久島恒知さん(元 映像プロダクション・プロデューサー)は、今から25年前、ヨーグルトのルーツを辿る映像作品の制作のために、モンゴル遊牧地域とブルガリアを現地取材されました。
 そのご縁で、私たちのドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧』の制作と上映活動を一貫してサポートしていただくことになり、以来、長きにわたってご交流が続いています。
 久島さんは、数年前、ある難病を発症し入院。プロダクションを後進に引き継ぎ、家庭菜園などで健康維持につとめられてきました。
 そんな折、2011年3月11日の東日本大震災が発生。久島さんは、思い立って、原発事故で避難を余儀なくされた福島県浪江町の方々のもとを訪ねはじめます。
 映画好きの久島さんらしく、編み出した独自の交流・支援の方法は、出前映画館。仮設住宅(福島市)の集会所におばちゃんたちと集い、「浪江キネマ」と銘打って、小津安二郎監督の『東京物語』、山田洋次監督の『小さいおうち』、高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』、吉永小百合主演の『北の零年』などの名作や、ご自身制作のドキュメンタリー映画『じゃあ、また来週!』を共に鑑賞することによって、お互いの境遇や胸の奥の思いを自ずと打ち解けて語り合える、そんな場を作ってこられたのです。
 この間、入退院を繰り返しつつも、月1度のペースで、車に映写機材を積み、こつこつと通い続けて6年。活動の様子をその都度、文に綴った通信レポート『僕とオバチャンと浪江町』は、今や50号に達し、分厚いファイル2冊分にもなっています。
 愛する家族を失い、ふるさとを離れて不安の中で暮らす浪江のおばちゃんたちにとって、すっかり心強い「仲間」になられています。

以下に、久島さんのご感想(その1)を掲載します。
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『菜園家族の思想』の書評をいただきました(評者:藤井満さん)

藤井満さん(朝日新聞紀南支局記者)から、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年10月刊)の評が届きました。当研究庵宛てのお便りとともに、以下に転載させていただきます。

小貫先生、伊藤さま
 ようやく読み終えました。
 細胞レベルの生物学からマルクス主義、クルーグマンまで、構想の大きさと幅広さにくらくらします。
 大阪都構想や「地方創生」の「上から目線」は本当にまずいですね。
 それに対抗する草の根民主主義が弱体化していることに危機感を覚えます。
 もしかしたら「菜園家族」は、民主主義再生の構想なのではないか、と思いながら読みました。
 戦後の日本人では森嶋通夫が、ウェーバーの理論をもとに「大きな理論」を描いていましたが、小貫先生と伊藤さんの構想は、GDP信仰を越えるという意味で、新しい地平を切り拓いているんですね。
 友人でつくっている本紹介のメーリングリストに書いたものを下に貼り付けておきます。
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『季論21』2014年冬号に『静かなるレボリューション』の書評が掲載されました!

 新しい思想・文化を考える季刊雑誌『季論21』No.23(2014年冬号、編集・発行:『季論21』編集委員会、発売:本の泉社、定価:952円+税)に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書評が掲載されました。評者は、澤 佳成さん(さわ・よしなり=東京農工大学講師、環境哲学)です。
 以下に転載させていただきます。ぜひご一読ください!

『季論21』2014年冬号

☆ 季論21のホームページ http://kiron21.org/

グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション』への書評

評者:澤 佳成(さわ・よしなり=東京農工大学講師、環境哲学)

生命本位史観を基軸にした菜園家族
東日本大震災の発生した2011年3月11日。この日は、福島第一原発事故の要因である、地方を疲弊させてきた中央集権化政策、海外の貧困層の生存にまで影響する資源浪費型の経済、それに追従する科学技術のあり方といった、この国の矛盾を再考するための、転換点となるはずだった。しかし、3年後の今、この社会では、まるで何もなかったかのように、市場至上主義的経済体制下での、マンモニズムにもとづく政策が跋扈している。本書は、こうした現実に警鐘を鳴らしつつ、オルタナティブな社会を構想する労作である。

筆者の新しい社会構想は、人間を大地と生産手段から切り離す資本主義によって出来した、環境、人間、家族の危機という現代社会の矛盾の克服が前提となる。それゆえ、資本主義の現実的矛盾が深まり、それを克服する実践や研究が進んだ19世紀の理論、とりわけマルクスの理論が、意義と限界の両側面から、序編において吟味される。

本編では、序編における考察を踏まえつつ、筆者の提唱する「生命本位史観」のもとでの未来社会論が、展開されてゆく。人類は、有史以来、剰余生産物を巡る階級闘争において「指揮・統制・支配」を基本原理とする社会のあり方によって、本来なら人間もその一部分であるはずの自然を脅かしてきた。人間を大地から引き離した市場の原理は、その決定打となった。しかし、そもそも生命体は、37億年にわたり、「外的環境の変化に対して、自己を適応させようとして自己を調整し、自己をも変革しようとする」「適応・調整」(322頁)という普遍的原理のもと進化してきたはずである。そうであるなら、人間の社会もまた、この原理に照応する形で編み直さなければならない。その基本単位が、筆者の十数年にわたる実践に裏打ちされた、生きる糧を生産する自律的「菜園家族」となる。

以下、筆者の現代的問題の把握と、菜園家族を基盤とした未来社会の構想をみていこう。

人間の危機と環境の危機の相即性
資本主義は、産業革命後、大量生産が可能な生産手段を、剰余生産物の主たる持主である資本家が独占することで成立する。競争に敗れ、あるいは土地を追われる形で生産手段を奪われ、賃金労働者となった人びとは、自ら生産した物がすべて資本家のものとなるために、本来労働を通じて得られる自己確証、生きる喜びや豊かさといったものを享受できない。それだけではない。賃金労働者は、失業や、生産物があり余っているからこそ生じる恐慌という人災(93頁)によって生死の境を彷徨いかねない境遇に、常に晒されている。それでも、生産手段を失った賃金労働者は、賃労働による生存の維持を余儀なくされる。

こうした形での人間の危機の昂進は、地球環境危機をも深めていく。持たざる者が、自立のための生産手段を含めてわずかな富まで収奪され、根なし草同然になる一方で、富める者がますます富んでゆく市場原理のグローバル化プロセスは、持たざる者の土地・文化・社会を収奪する仕方での環境破壊の拡大と、表裏一体の関係にあるからである。  大地と切り離された人間が増えてゆくほど、自然環境の破壊は昂進する。筆者は、資本主義経済体制下での人間の危機と環境の危機との相即性を、このように鋭く告発する。

家族の変質と子どもの成長の危機
時を経るとともに、空間を超えて拡大するグローバル市場原理体制のもと、「現代賃金労働者(サラリーマン)」として、賃金を得なければ生存を維持できない私たちの多くもまた、帰る故郷をもたない根なし草となっている。この状況が、家族の危機をも招来していると筆者はいう。

かつて、自然との循環のなかで生活を営む家族は、「いのちの再生産の輪」と「ものの再生産の輪」(138頁)が重なる“場”であった。だが、市場原理の貫徹によって、まずは工業生産が、次いで農業生産が、家族の外へと追いやられ、それらの生産物が、自分たちで文化を伝承しつつ生産すべき対象から、賃金を得なければ手に入らないものとなった。

こうして大地から引離され、世代間の継承を通して行われる労働(生産活動)での喜びや自己形成の機会、人間的交流が失われた家族からは、子どもを育む力が失われてゆく。それだけではない。子どもの成長を育む営み事態が、幼児保育、学校や塾といった形で家族の外部に追いやられてゆく。生産物の獲得から教育にわたり、家族の維持には賃金が必須となるため、「家族がまるごと市場に組み込まれ、熾烈な競争にもろに晒される」(138頁)。結果、現経済体制下でいかに生き残るかに賭ける、教育家族が出来する。

こうして、市場原理の支配する経済体制への適応志向が家族を席捲し、マンモニズムが跋扈することで、社会における倫理の頽廃も深まってゆくと筆者は警鐘を鳴らす。

市場原理の昂進により、人間が、家族が、大地から切り離され、環境の破壊も深まってゆけばゆくほど、人類は、自らの破滅に、一歩、また一歩と近づいてゆくのだ。

人類史の新たな段階:菜園家族
では、どうすればよいのか。二百年程度の歴史しかない資本主義体制は、数百万年続いてきた人類の歴史からみれば微々たるものだが、結果として大地から切り離され、賃労働に縛り付けられ生きている私たちの手許には、もはや、自然循環型の生活を営むための土地や生産手段が残されていない。だからこそ、現代賃金労働者と「自立の基盤としての「菜園」との再結合を果たすことによって創出される新たな家族形態」である「菜園家族」(311頁)を、未来社会の根本的な担い手としなければならないと筆者は強調する。

三世代を基礎とする菜園家族は、賃労働を週二日に減らし、週休五日のなかで、生きるために必要な物の栽培、手作りによる加工品の制作、自営業(匠商家族)を営む。その共同作業のなかで、農地や里山などの美しい景観を育み、技を伝承してゆく家族は、他の生命種にはみられぬほどの未熟さをもって誕生する人間の子どもの感性を育み、自己を形成する場として機能する。

こうしたあり方の菜園家族は、資本主義の席捲によって失われていた人間の生き方、つまり、数百万年継続してきた、家族を基礎とする人間の生存のための営みを、現代の社会様式のよき部分も組み込みつつ継承することで、人間疎外、環境破壊をもたらす社会の仕組みをかえる担い手となる。

それは、「大地から遊離し根なし草同然となった不安定な現代賃金労働者(サラリーマン)が、大地に根ざして生きる自給自足度の高い前近代における「農民的性格」との融合を果たすことによって、21世紀の新たな客観的条件のもとで「賃金労働者」としての自己を止揚し、より高次の人間の社会的生存形態に到達することを意味している」(311頁)のだ。

抗市場免疫の自律世界の構築へ
こうした筆者の提言は、けっして前近代への回帰の称揚ではない。資本主義セクターC(Capitalism)、家族小経営セクターF(Family)、公共的セクターP(Public)の相互連関により形成される「CFP複合社会」で、セクターPによる規制によってセクターFを主役に据え、セクターCの積極面を受容しつつ賃金労働者と菜園(大地)との再結合を図り、歴史の進展とともに、昨今の矛盾を招いたセクターCの範囲を徐々に狭めてゆくという構想である。

だからといって、この社会は、中央集権的共同所有によって資本主義に対抗しようとした旧ソ連型の発展形態(A型発展)を目指すものでもない。そうではなくて、「大地に根ざした個性的で創造的な人間一人ひとりの活動と人間的鍛錬を通じて、非民主的で中央集権的な独裁体制の生成と増幅を抑制する豊かな土壌と力量を社会の内部に涵養していく」(168頁)発展(B型発展)を重視する。それゆえ菜園家族は、むしろ、中央集権化、非民主化という市場原理のもたらす問題への、抵抗の拠点となる。

市場原理の貫徹する現代社会は、家族、地域、国、グローバルな世界といった階層構造をなす社会の「最上位の階層に位置する巨大資本が、あらゆるモノやカネや情報の流れを統御支配」している(132頁)。この上からの支配が、人間や家族を危機に陥れ、地域の衰退を招いているのなら、自律した菜園家族を基盤として地域や同業の協同組合(なりわいとも)を結成し、村、郡、県レベルへと繋がりを広げてゆく「ローカルからグローバルへ」という形での、下からの民主主義を徹底すればよいと筆者は提起するのである。「経済の源泉は、まぎれもなく草の根の「人間」であり、「家族」であり、「地域」である。そして民主主義の問題は、究極において人格の変革の問題であり、人格を育むものは、人間の生産と暮らしの場である「家族」と「地域」である。したがって、この「家族」と「地域」を時間がかかってもどう立て直し、どう熟成させていくかにすべてがかかっている」(240頁)。

混迷するグローバル社会の海図
3・11福島原発事故は、原子力ムラに代表される中央集権的かつ非民主的な政治・経済体制を見直すための、エネルギー自治、生産活動の民主化といった構想の必要性を浮き彫りにした。しかし、現実には、新規の<放射性物質安全神話>によって市民が分断され、経済成長神話に依拠した従来型の路線が、資本を崇拝する者達によって維持継承されている。また、グローバルな経済体制を保安するための軍備増強がはかられ、同時に、行政権力にとって都合の悪い情報を隠すための秘密保護法制が議論されてもいる。人間の「いのち」の視点を重視した文明への転換が強く求められている今、本書は、これらの課題に、理論的かつ具体的な形で有益な視座を与えてくれる好著であり、一読をお勧めしたい。

☆ 評者の澤 佳成さんには、限られた紙面の中で、本書を多角的に懇切丁寧に吟味していただき、実に正鵠を得た過分のご批評にあずかることとなった。
 今日、資本主義社会の矛盾は熾烈さを極め、人々はその場しのぎの浅薄な処方箋のあれこれに終始している。未来へ思いをめぐらせ、深く考える余裕すら与えられていない。当然のことながら、効率・実利至上主義の風潮へと流れ、社会全体が理念蔑視、理念喪失、哲学不在の由々しき事態に陥っている。
 19世紀に隆盛を極めた近代超克の思索は、21世紀の今日の事態にあってはなおのこと、その思想的・理論的営為のさらなる展開を時代が要請しているにもかかわらず、すっかりその影を潜め、衰退してしまった。こうした中で、何よりも若い世代に属する研究者である氏が、拙著を真っ正面から取り上げ考察されたことそれ自体の持つ意義は、あるゆる意味において実に大きいと言わなければならない。あらためて心から感謝申し上げる次第である。

マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 正食協会(大阪市中央区大手通)が発行するマクロビオティック・マガジン月刊『むすび』No.650(2013年11月号)の書籍案内コーナー「新刊EXPRESS」に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

『むすび』2013年11月号「新刊EXPRESS」

モンゴルと鈴鹿山中
辺境から見えてくるもの

片山明彦(正食協会『むすび』編集部)

「今だけ、金だけ、自分だけ」とは、目先の利益のみにとらわれる最近の世相を皮肉った言葉です。むき出しの市場競争至上主義がもてはやされる現代にあって、著者らは「大地への回帰」こそが、混迷を深める社会を根本から建て直す指針となるのではないかと訴えてきました。

ともにモンゴルの遊牧民研究から出発し、琵琶湖畔の鈴鹿山中を拠点に、「辺境」に生きる人々の視点を大切にして、研究と実践を重ねてきた著者らは、三世代による「菜園家族」を基礎単位にした社会づくりを一貫して提案しています。

菜園家族とは、週のうち二日だけ企業や公的機関の職場で従来型の仕事をして、残りの五日間は暮らしの基盤である菜園で自給農をしたり、手づくり加工や商業、サービス業といった自営業を、三世代が協力して営むというものです。  そして菜園家族の育成の場として、森と海を結ぶ流域地域圏を再生させることで、自然循環型共生社会の実現をめざしています。

東日本大震災で近代文明終焉の分水嶺に立たされた今こそ、「アベノミクス」に代表されるような従来型の「経済成長」をかたくなに推進するのではなく、新たな価値観のもとに大胆な一歩を踏み出そうと呼びかけています。

マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号

☆ 正食協会のホームページは http://www.macrobiotic.gr.jp/
  月刊『むすび』のご案内は http://www.macrobiotic.gr.jp/publish/musubi.html
  をご覧ください。

グラフィック電子雑誌『Lapiz ラピス』2013年秋号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 グラフィック電子雑誌『Lapiz(ラピス)』2013年秋号に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書籍紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

Book 『静かなるレボリューション』

片山通夫(フォト・ジャーナリスト)

インターネット上で読める「虚構新聞」という名の新聞がある。その名の通りあくまで《虚構=嘘》の情報などを扱っている。その新聞に次のような記事が掲載された。
「山手線、日暮里エクスプレス開業へ 来年3月から」
記事の要旨は、山手線・日暮里―西日暮里間をノンストップで走る超特急「日暮里エクスプレス」を来年3月のダイヤ改正に合わせて開業させるとJR東日本が発表したというもの。
日暮里駅の隣の駅は西日暮里駅である。しかし山手線は環状線である。一周回って隣の駅である駅まで27駅・約60分かかるので、乗客の利便を考えて日暮里エクスプレスを走らせるというものだ。隣の駅に行くのにである。http://kyoko-np.net/2013081301.html

冒頭につまらない事を書いた。しかし、この記事は現在の《無駄》を的確に表している。利便性を追うだけのために、壮大な無駄をしているのが現代社会だと、痛烈に批判した記事だと筆者は感じだ。

さて本論だが、本書は『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』と題する369ページ・A5版のたっぷりと読みごたえのある本である。著者は小貫雅男、伊藤恵子の両氏。小貫氏は、滋賀県で「里山研究庵Nomad」を主宰している。伊藤氏はNomadの研究員。小貫氏の専門はモンゴル近代史、伊藤氏のそれはモンゴル遊牧地域論。

本書のタイトルの頭に「グローバル市場原理に抗する」とあるように、アベノミクスの危うさ、無駄、3・11以後のわが国、政・官・財界がとった行動や発表した指針を、著者たちが提唱する「菜園家族」運動に照らして、如何に奇妙な行動であり、また提唱だと、痛烈な批判を繰り広げているのが特徴だ。

本書からプロローグ(39ページ)に書かれているほんの一部を紹介したい。
「私たちは今から十余年前の2000年に、21世紀の未来社会論として「菜園家族」構想を初めて公表した。2001年からは、滋賀県の琵琶湖に注ぐ犬上川・芹川の最上流、鈴鹿山中の限界集落・大君ヶ畑(おじがはた)に里山研究庵Nomadという拠点を定め、彦根市、多賀町、甲良町、豊郷町の一市三町を含むこの森と湖を結ぶ流域地域圏を地域モデルに、農山村地域とその中核都市の調査・研究に取り組んできた。(中略)本書は3・11を機に近代文明終焉の分水嶺に立たされたまさに今、この「菜園家族」構想の意味するところを改めて吟味し、今日の新たな時代状況を組み込みながらまとめたものである」

著者たちの提唱する「菜園家族」構想をここで説明するのは難しい。
著者たちはいう。「“菜園家族群落”による日本型農業の再生」の必要を。そしてその解が本書に書かれている。
そして今のわが国の情況、新自由主義をあがめ、戦争のできる普通の国を目指そうとしている政・官・財への辛辣な批判が本書を書かれた両氏の原動力だと筆者は読めたのだが。

☆ グラフィック・マガジン『Lapiz(ラピス)』は、大阪在住のフォト・ジャーナリスト片山通夫さんたちが2011年12月に創刊された季刊の電子雑誌です。
「ラピス」はスペイン語で鉛筆の意。3・11後、「私たちが享受している文明や文化を今こそ見つめ直すべきではないか。普通の市民として、とにかく現場に足を運んで自分の目で見て考える雑誌にしたい」(編集長 井上脩身さんの「創刊に当たって」より抜粋)と、フリージャーナリストのみなさんが中心となって執筆・発行されているものです。

通常は、「マガストア」、「DL MARKET」、「雑誌ONLINE」にて各号250円で発売されていますが、このたび東日本大震災3年目の節目に発行された特集号『東日本大震災 あれから3年』(2014年4月20日発行)に限っては、無料でダウンロードできるそうです。
マスメディアとはひと味もふた味も違う、この電子雑誌『Lapiz』。
詳しくは、Lapizホームページ
http://lapiz-international.com/ をご覧ください!

片山通夫さんは、フリーカメラマンとして、1990年代初頭の民主化のただ中にある東ヨーロッパなど、世界各地を取材。特に1999年からは、第二次大戦中日本によりサハリン(旧樺太)に残留を余儀なくされた朝鮮人問題に関心を持ち、そうした人びととその留守家族の歴史と現状を撮り続けておられます。
片山通夫さんのオフィシャルサイト「609studio」は、
http://www.609studio.com/ をご覧ください。

『日本農業新聞』に『静かなるレボリューション』の書評が掲載されました!

 『日本農業新聞』(2013年9月1日付)の読書欄に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書評が掲載されました。以下に転載させていただきます。日本農業新聞2013.9.1書評

  「菜園家族」こそ共生の鍵

                 評者:蔦谷栄一(農林中金総合研究所特別理事)

 “危ない国”の再生に、がっぷり四つに取り組んだ渾身の未来社会論であり、グローバル市場原理に抗する“静かなるレボリューション(革命)”の実践論だ。

本書の最大のキーとなる概念が「菜園家族」である。週休5日制により、5日は「菜園」で農業に励み、2日は雇用という形態で勤務する。ワークシェアで雇用を2・5倍に増やす。「家族は生きるために必要なものは、大地に直接働きかけ、できるだけ自分たちの手で作る・・・・・。現金支出をできるだけ少なく抑え、生活全体の賃金への依存度を最小限に抑制し、市場が家族に及ぼす影響をできる限り小さくする。つまりそれは、家族が過酷な市場原理に抗する免疫を自己の体内につくり出し、自らの自然治癒力を可能な限り回復する・・・・・この免疫的自然治癒力を家族内にとどまらず、家族と家族の連携によって次第に地域に広げ、抗市場免疫の自律的地域世界を構築」していくことを説く。

根底にあるのは大地から引き離され、自立の基盤を失ってしまった賃金労働者の“悲劇”だ。菜園との再結合と、これによる「農民的性格」との融合による自立の基盤の確保を目指す。

大規模経営体ではなく、わが国の条件にかなった中規模専業農家を育成すべきで、これを核に、10家族前後の「菜園家族」が囲む「菜園家族群落」を形成していく。そして「森と海を結ぶ流域地域圏」の再生、さらに「自然循環型共生社会」を展望する。これは資本主義セクターC、家族小経営セクターF、公共セクターPのCFP複合社会でもある。

著者は滋賀県多賀町大君ケ畑の現場で活動しながら調査研究に取り組む。難解ながらも鋭く真実を穿っており、大地への回帰を訴え掛ける。

☆ 評者の蔦谷栄一さん(1948年生まれ、宮城県出身)は、農業・農村を長く研究されてきたと同時に、40代の頃から週末には山梨市牧丘町にて田舎暮らし・自然農法を実践、さらに2005年からは養蚕農家を改築した「みんなの家・農土香(のどか)」を拠点に、東京を中心とした都会の子供たちの田舎体験教室・交流活動蔦谷栄一『共生と提携のコミュニティ農業へ』(創森社、2013年)(後年、大人向けも加わる)に取り組んでこられました。

 最近のご著書『共生と提携のコミュニティ農業へ』(創森社、2013年1月刊)では、日本の農業・農村にとって家族農業を基礎単位にすることが大切であるという視点から、それを軸に多様な人々が関わり合う持続的循環型の地域づくりの可能性について、ご自身の長年にわたる実体験も交えて展開されています。

 昨2013年10月に退職されたのを機に、「農的社会デザイン研究所」 http://www.nouteki-design.com/ を設立。「成長・効率志向の工業的社会から自然循環を優先した生命尊重の社会へと転換していくことが必要であり、“農”がそのカギを握る」(『地域からの農業再興』創森社、2014年1月刊のあとがきより)とのお考えから、山梨でのご活動を充実させ、同時に全国各地のさまざまなグループと連携し、ネットワークを広げていきたいと、決意を新たにされています。