
政治的欺瞞に対峙する民衆的生活世界の再構築 ― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―
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「政治的欺瞞に対峙する民衆的生活世界の再構築」(PDF:422KB、A4用紙18枚分)
– 論説 –
政治的欺瞞に対峙する
民衆的生活世界の再構築
― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―
2014年7月1日、ついに安倍内閣は、他国に対する武力攻撃の場合でも自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を容認するために、憲法解釈を変える閣議決定をした。直接日本への攻撃が発生していなくても、他国の戦争に参加できる国に大きく転換することになる。
そもそも憲法9条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のである。もともと戦力の保持自体を認めていないのであるから、個別的自衛権と言えども、武力の行使はできないのである。ましてや他国の戦争に加わり、武力を行使する集団的自衛権などは、憲法上論外である。このことは、憲法を虚心坦懐にそれこそ素直に読みさえすれば、子どもでも分かる道理であるはずだ。それを殊更もっともらしくあれやこれやと屁理屈を並べ立て、国民を欺くとは実に恥ずべきことではないのか。
本来憲法違反である武力による個別的自衛権を勝手な憲法解釈によって認め、不当にも既成事実を積み重ねてきた歴代内閣も、さすがに集団的自衛権の行使については、長年、憲法解釈で禁じてきた。ところが、安倍内閣はそれすらも崩し、憲法の柱である平和主義を根底から覆す解釈改憲を行ったのである。国民の命運に関わる、憲法改定に等しいこの大転換を、国民は蚊帳の外に置き、自・公与党内の密室協議という猿芝居を延々と見せつけ、果てには議論は熟したと称して強行する歴史的暴挙であった。
あとは関連法案などを小出しにして、違憲の選挙制度のもとすでに準備された虚構の絶対多数をもって国会を押し切れば済むという魂胆なのだ。こんな子ども騙しのようなことを平然とやってのける。これが首相の言う「自由と民主主義」の実態なのだ。異常としか思えない私的心情から来るファシストまがいの狭隘な自己の信念に陶酔してのことなのか、あまりにも「政治」に嘘が多すぎる。立憲主義と国民主権の破壊に直面し、多くの人々は、暗い時代への急転回に不気味さと不安を感じている。