論説・エッセイなど」カテゴリーアーカイブ

連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その6≫

 2021年12月5日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その6≫を、以下に転載します。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その6≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

◆ こちらから全文をダウンロードできます。
気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その6≫
(PDF:396KB、A4用紙5枚分)

小川と子供たち

◆原発のない脱炭素の自然循環型共生社会へ導く究極のメカニズムCSSK
―「菜園家族」基調のCFP複合社会への移行と進展を促す◆

▽CSSKメカニズムの骨子▽
 原発のない脱炭素社会、つまり本質的にエネルギーや資源の浪費とは無縁の、かつパンデミックの猛威にもめげない、しなやかで強靱な自然循環型共生社会(じねん社会)へ導くためには、主に企業など生産部門におけるCO2排出量の削減と、商業施設や公共機関や一般家庭などにおける電気・ガス・自動車ガソリンなど化石エネルギー使用量の削減を、「菜園家族」の創出・育成と連動させながら、包括的に促進するための公的機関「CO2削減(C)と菜園家族創出(S)の促進(S)機構(K)」(略称CSSK)の創設が鍵になります。
 国および都道府県レベルに創設されるこの機構は、これから述べるCSSKメカニズムの基軸に据えられます。

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連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その5≫

 2021年11月30日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その5≫を、以下に転載します。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その5≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

◆ こちらから全文をダウンロードできます。
気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その5≫
(PDF:351KB、A4用紙4枚分)

◆21世紀「菜園家族」社会構想の概括◆

 ここではまず、この構想のキーワードとなる「菜園家族」という概念の核心部分に絞って、簡潔に述べておきたいと思います。

 熾烈なグローバル市場競争のもとでは、科学・技術の発達による生産性の向上は、人間労働の軽減とゆとりある生活につながるどころか、むしろ社会は全般的労働力過剰に陥り、失業や派遣など非正規雇用をますます増大させていきます。少数精鋭に絞られた正社員も、過労死・過労自殺にさえ至る長時間過密労働を強いられています。
 この二律背反とも言うべき根本矛盾を、どう解消していくのか。このことが、今、私たちに突きつけられているのです。

 一方、農山漁村に目を移せば、過疎高齢化によって、その存立はもはや限界に達しています。これは当事者だけの問題に留まらず、むしろ戦後高度経済成長の過程で大地から引き離され、根なし草同然となって都市へと流れていった、圧倒的多数の賃金労働者という近代特有の人間の社会的生存形態、つまり都市住民のライフスタイルをどう変えていくのか、という国民共通の極めて重い根源的な問題でもあるのです。

 この変革を可能にする肝心要の鍵は、紛れもなく都市と農村の垣根を取り払いはじめて成立する、賃金労働者と農民の深い相互理解と信頼に基づく、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)なのです。

野菜と子供
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連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その4≫

 2021年11月26日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その4≫を、以下に転載します。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その4≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

◆ こちらから全文をダウンロードできます。
気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その4≫
(PDF:270KB、A4用紙2枚分)

山並みと木々

◆「菜園家族」の創出は、地球温暖化を食い止める究極の鍵◆

 「菜園家族」未来社会構想では、経済成長と地球環境保全とのジレンマに陥っている今日の「温暖化対策」の限界を克服すべく、それとは異なる新たな次元からその解決に迫まろうと、既にこれまでにも具体的な提案をおこなってきました。

 つまりそれは、連載の冒頭で、毎回、繰り返し掲げているように、CO2排出量削減の営為が、ただ単にその削減だけにとどまることなく、同時に即、古い社会(資本主義)自体の胎内で、次代のあるべき社会の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動するような、新たな社会的メカニズムCSSK創設の提起です。

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連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その3≫

 2021年11月20日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その3≫を、以下に転載します。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その3≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

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気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その3≫
(PDF:319KB、A4用紙3枚分)

◆今日の地球温暖化対策の限界と避けられない社会システムの転換◆

 この十数年来、国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)や主要国首脳会議(G8サミット)などの開催を契機に、こうした科学的知見に基づく地球温暖化対策の議論が、国際的な広がりを見せながら深められるようになってきたのも事実です。

地球

 ただしこうした議論には、際立った特徴が見受けられます。それは、CO2など温室効果ガス排出量削減の対策が、エネルギー効率を上げる「省エネ技術」や新エネルギー技術の開発など科学技術上の問題と、経済誘導策としての排出量取引制度にもっぱら矮小化されていること。
 そして何よりも、産業革命以来の工業化社会の大量生産・大量浪費・大量廃棄型の生産のあり方と、先進国における人間の際限のない欲望と放漫なライフスタイルそのものを根源から問い直し、市場原理至上主義「拡大経済」自体の変革を通じてエネルギー消費の総量を大幅に減少させていこうとする姿勢が、あまりにも希薄なことです。

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連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その2≫

 2021年11月17日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その2≫を、以下に転載します。

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【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その2≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

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気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その2≫
(PDF:337KB、A4用紙4枚分)

IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』(2018年)の表紙
IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』(2018年)

◆今日までに到達した気候変動に関する世界の科学的知見から◆

 今から14年ほど前になりますが、2007年の2月から5月にかけて、世界の科学者の研究成果を結集した「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)第4次評価報告書が公表されました。
 「過去半世紀の気温上昇のほとんどが、人為的温室効果ガスの増加による可能性がかなり高い」こと、「平均気温が2~3℃上昇すれば、地球は重大な打撃を受ける」こと、そして、「今すぐ温室効果ガス排出量の削減に取り組み、2015年までに排出を減少方向に転じ、2050年までに半減すれば、地球温暖化の脅威を防ぐことは可能である」ことが、あらためて科学的見地から確認されました。

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連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その1≫

 このたび2021年11月より、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/にて、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」をはじめました。
 このホームページにも、順次、転載していきます。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その1≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

◆ こちらから全文をダウンロードできます。
気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その1≫
(PDF:424KB、A4用紙5枚分)

里山研究庵から望む大君ヶ畑集落

◆連載のスタートにあたって◆

 鈴鹿山中、里山研究庵の縁側から晩秋の奥山に目を遣ると、さまざまな想念が湧いてきます。
 グローバル化と都市の巨大化・過密化が進む今、新型コロナウイルスは瞬く間に地球規模に拡散。パンデミックの猛威は、世界を一気に震撼させました。私たちの社会はいかにも脆弱であり、その根源的矛盾の罠にあっさり取り籠められ、一歩も身動きできない事態に一瞬のうちに陥ってしまいました。
 巨大都市集中の歪(いびつ)な国土構造、国内産業を空洞化させ、グローバルなサプライチェーンに依存する生産体系。今さらのように、その弊害の恐ろしさに気づかされました。
 この際、ごまかすことなく、わが身を振り返り、明日の社会のありようそのものをいよいよ真剣に考えなければならない時に来ています。

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命運の岐路に立たされた若者たち ―『きけ わだつみのこえ』、そして今日の学生の苦悶のレポートから ―

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命運の岐路に立たされた若者たち ―『きけ わだつみのこえ』、
そして今日の学生の苦悶のレポートから ―
(2018年9月28日付、PDF:487KB、A4用紙15枚分)

命運の岐路に立たされた若者たち
―『きけ わだつみのこえ』、そして今日の学生の苦悶のレポートから ―

                                      伊藤恵子

はじめに ― 二人の「学徒」の訃報に思う
Ⅰ 大学にも忍び寄る軍事「新大国主義」の影
Ⅱ 学生たちと『きけ わだつみのこえ』を読む
Ⅲ 悩み、逡巡する今日の若者たち ―弱肉強食の競争にまみれて
Ⅳ 「菜園家族」構想と平和主義をめぐって ―学生のレポートから考える
おわりに ―真綿締めの苦悶にもがく今日の若者たち―「未発の可能性」を信じて

はじめに ― 二人の「学徒」の訃報に思う
 今年2018年梅雨の頃、新聞で相次いで2人の訃報が目に留まった。
その1人は、6月7日に101歳で亡くなった日高六郎さん(1917年生まれ)。平和と民主主義について、戦前、戦中の自己の体験にも基づきながら、一人ひとりの人間のレベルからはじまり、社会全体のあるべき姿を展望しつつ深く思索し、戦後の市民運動に取り組んできた社会学者、評論家である。
 日米が開戦した1941年12月8日、東京帝国大学文学部の学生だった。繰り上げ卒業、そして召集という運命が目前に迫り、学生たちには落ち着かない空気が流れていた。しかし教授たちの反応は違った。はっきりけりがついて、さばさばした。暗雲低迷が一時に晴れわたった感じだというのである。町の人々も同様で、どちらでもいいから早く決着をつけてくれ、という気分だったという。
 卒業後、陸軍に入営するが病気除隊。文学部助手となるも、80人ほどいる教授らの中で、1931年からはじまった戦争に対して本当に批判的だったのは、フランス文学の渡辺一夫氏(1901~1975)と言語学の神田盾夫氏(1897~1986)の2人だけであることに、絶望感を抱いていたという。
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暗闇に射し込む一筋の光 ―人間そんなに弱いものではない―

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暗闇に射し込む一筋の光 ―人間そんなに弱いものではない―
(2018年7月17日付字句加筆・訂正版、PDF:231KB、A4用紙5枚分)

暗闇に射し込む一筋の光
― 人間そんなに弱いものではない ―

                                      小貫雅男
                                      伊藤恵子

若き魂への伝言
 2018年7月3日、首相官邸への通路で待ち構えていた記者団に囲まれ、「昨夜のサッカーW杯日本対ベルギー戦の感想は・・・?」と訊かれ、安倍首相は「この2週間、本当によい夢を見させてもらいました」と、平然と笑みを浮かべ、そそくさと通り過ぎていった。
 ご本人は、森友・加計問題で窮地に追い込まれ、崖っぷちに立たされていたまさにその時である。サッカーW杯熱狂の神風が運良く吹き荒れ、国民の関心は、こぞってその渦の中へと一気に吸い込まれていった。何ともやりきれない、ふてぶてしさだけがあとに残る。
 それがどんな夢なのか知る由もないが、よもや「国民一億総熱狂のおかげで救われました」などと、本心は口が裂けても言えまい。
 ちょうどこの対ベルギー戦を控えた7月2日、大勢の報道陣を前に、国民栄誉賞授与式なるものが行われた。首相は、人気絶頂の若いフィギュアスケート選手を前にして、まことしやかな言葉を交わし、実に神妙に儀式を執り行った。
 国会を愚弄する破廉恥も、巧妙な虚言も、来たる「選挙」のために、それで相殺できるとなれば、何でも厭わずやってのけるのだ。
 首相就任以来この方、こうした見え透いた細々とした偽善なるものを実にこまめに織り交ぜ、せっせと繰り返しながら、忌まわしい本質をすっかり覆い隠し、何とか政権を維持してきた。こざかしさを通り越し、権力への恐るべき執念と言うほかない。
 こんな小手先のごまかしで、これまでは国民を騙すことができたとしても、それは、なんぼ何でももはや限界なのだ。民衆を決してあなどってはならない。
 サッカーW杯に沸く狂騒のまさにそのさなか、落語家の桂歌丸さんは壮絶な死を遂げた。世人の笑いを誘い、庶民に生きる力を与え、死力を尽くして励まし続けてきた歌丸さん。身を削り、いのち尽きる直前まで、あきらめず己の道を究め、ついに81年の生涯を閉じた。さわやかな、揺るぎないその使命感にただただ驚嘆するばかりである。
 そんなに心配するほど人間は弱くはないのだよ、と身をもって語りかけてくるようだ。鬱屈したこの欺瞞の時代。壮絶なそのさいごの姿は、暗闇に射し込む一筋の光となって、人々の心に甦る。

米朝首脳会談を新たな角度から考える
 懐疑と期待の念をない交ぜながら、2018年6月12日、急ごしらえの米朝首脳初会談に、世界の人々の目は釘付けにされた。
 その評価をめぐる議論はさまざまである。確かに米朝間での軍事的威嚇の応酬による一触即発の核戦争の脅威を一時的にせよ回避した面は否定できないが、より重要な視点を見落としてはならないのではないか。
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サッカーW杯に沸く歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―

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サッカーW杯に沸く歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」
― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―
(2018年6月23日付、PDF:204KB、A4用紙5枚分)

  サッカーW杯に沸く
    歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」

― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―

 熱狂するサポーターやマスメディアの余りにも過剰なまでの報道とあの光景が、かつて不満のはけ口を求めてファシズムの道を突き進んだ民衆の熱狂と重なって、不安が胸をよぎる。よもやとは思うが、今日のわが国の「政治」の現状を見ると、一概にそれを否定できないのではないか。
 それが杞憂に過ぎないと思える日が、一日も早く来ることを願うばかりである。
 昨今のマスメディアの報道を見るに、国民の将来にとって今もっとも大切なことは何なのか、そしてしっかり伝えるべきことは何なのか、という報道の社会的役割、つまり報道の公共性をすっかり忘れ、人々の目先の興味や好奇心におもねる、極端にバランスを欠いた視聴率第一主義の報道へと急速に傾斜していく姿に一抹の不安を感じている。
 アベ「政治」が森友・加計問題で窮地に陥り、政治の腐敗が白日の下に晒されたにもかかわらず、政党政治は手をこまねき、解決の方向すら見出せず混迷を深めている。国民の不満や鬱屈した心情は、今や頂点に達している。こうした中、局面を一気に打開しようとするファシズム台頭の社会的動機、思想的土壌はいよいよ極度に醸し出されていく。
 わが国の戦後民主主義が根源的に問われているこの瞬間においても、サッカーW杯、紀州のドン・ファン、つまり躍動的で熱狂的なスポーツとどろどろとした猟奇的な事件で、しつこくメディアが埋め尽くされていくこの異常な事態をどう見るのか。今後の報道のあり方を考えるためにも、報道に携わる当事者はもちろん、メディア研究の専門家をはじめ、広汎な国民共通の重い課題として受け止め、多面的かつ総合的に検証していく必要があるのではないか。
 ところで、加計学園の加計孝太郎理事長による6月19日の突然の記者会見は、姑息としか言いようのないものだった。
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またもや保身の醜態を繰り返すのか ―安倍首相、冒頭解散表明の日に―

      またもや保身の醜態を繰り返すのか

     アベの
     私難を
     「国難突破」解散に
     すり替える
     このこざかしさよ。
       この国の
       先の見えない不安に付け込み
       鷹の本性を巧みに化粧し
       絶望の党を
       希望の党に
       平然とすり替える
       この高をくくった
       ずる賢さよ。
     これでは所詮
     どれもこれも
     議員生き残りを賭けた
     庶民とはまったく無縁の
     策士集団の
     欺瞞の政治の
     繰り返しに過ぎない。
       為政者は
       国民をどこまで
       あなどれば
       気が済むというのであろうか。
     この国の政治には
     あまりにも嘘が
     多すぎる。
       それを許しているのは
       「お任せ主義」に安住してきた
       私たち国民自身ではないのか。
     結局
     私たち草の根の民衆自身が
     根っこから
     自らの主体性を回復し
       自らの暮らしと
       この国のあり方を
       根源的に問い直すことから
       はじめない限り
       未来はない。
     では
     どうすればいいのか・・・。
       長きにわたって放置されてきた
       この重い課題は
       いずれ
       国民的議論にならざるを得ないであろう。

               2017年9月25日 ― 安倍首相、冒頭解散表明の日に ―
                            里山研究庵Nomad
                               小貫雅男
                               伊藤恵子

「では、どうすればいいのか」については、一つの提起として、既に当ホームページに掲載した
 小文
「新生日本の黎明 ―『菜園家族』構想による日本国憲法全条項の究極の具現化―」
 まずはご参照ください。近く大幅増補版を公表する予定です。