『山中人語』の趣旨
『山中人語』の再出発にあたって
「山中、人語を聞かず」。
高度経済成長を経て、今、日本の多くの山村では、豊かな森はうち捨てられ、人々は平野へと下り、荒れ果てた廃屋と畑が、過疎と高齢化の流れの中で、なすすべもなくひっそりと佇んでいます。
私たち「里山研究庵Nomad」がある鈴鹿山中の奥山の集落、大君ヶ畑(おじがはた)の周辺にも、かつては子供たちのはしゃぐ声が山の静寂を破って、こずえから空へと高く響き渡っていただろう、そんな廃村の跡が散在しています。
ついこの間まで、ここには確かに人々の暮らしがあったという痕跡に遭遇した時、人はきっと、自然にとけ込むように生きてきた先人たちの努力と叡智の積み重ねが、悠久の歴史から見ればまさに一瞬のうちに消え去ったことを知り、自分たち現代人の浅はかさを悟ることでしょう。
こんな山中の一隅から、私たちの今を見つめ、21世紀の未来を見通したい・・・。そんな願いを込めて、この『山中人語』を再スタートさせたいと思います。
3・11東日本大震災から早や3年と2ヵ月が経ちました。あの時の衝撃や深い自省の念はすっかり忘れたかのように、今、アベノミクスなるものに淡い期待を寄せ、浮き足立っている――。社会の根源的な構造的矛盾はいっこうに変わっていないのに、表層ばかりに目を奪われ、厳しい現実の矛盾からは、敢えて目をそらそうとさえしているのではないかと危惧するのです。
長きにわたる閉塞状況から、忌まわしい反動の時代へとずるずると急傾斜していく中、それでも怒りを堪(こら)え、じっと耳を澄ませば、新しい時代への鼓動が聞こえてきます。たとえそれが幽かであっても、信じたいと思う。そして未来への光も、そこに見出したいのです。
このコーナーでは、四季折々の山の自然とそこに生きる人々の暮らし、時には、社会、経済、世界の動きにもふれて、気のおもむくままに書き留めていければと思っています。
2014年5月11日 ― 新緑の候に ―
里山研究庵Nomad