長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第7章
長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―
第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―
第7章
「菜園家族の世界」―記憶に甦る原風景から未来へ―
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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第7章
(PDF:661KB、A4用紙15枚分)
甦る大地の記憶
心ひたす未来への予感
この長編連載では、21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道である「菜園家族」社会構想を深め、考えていくのであるが、この章では、一旦、概念と論理のみで展開する抽象レベルの叙述を避け、まずは、記憶に甦る原風景から、「菜園家族の世界」の原形を身近にイメージできる「具体的世界」に描くことからはじめよう。
ところで、画家・原田泰治の“ふるさとの風景”は、現代絵画であると言われている。日本からは、もうとっくに失われてしまった過去の風景でありながら、そこには現代性が認められるという。
たしかな鳥の目で捉えるふるさとの風景の構図。しかも、心あたたかい虫の目で細部を描く、彩り豊かな原田の絵画の世界には、きまって大人と子どもが一緒にいる。大人は何か仕事をし、子どもたちはそのそばで何かをしている。
人間の息づかいや家族の温もりが、ひしひしとこちらにむかって伝わってくる。込みあげてくる熱いものを感ぜずにはおられない“心の原風景”が、そこにはあるからであろう。
21世紀をむかえた今、子どもと家族の復権を無言のうちに訴えかけてくる。
私たちがめざす「菜園家族」の、そして「地域」のあるべき姿は、高度経済成長期以前にかつてはあった伝統的な自然循環型共生の暮らしを原形にしながらも、それを時間をかけてゆっくりと21世紀の今日の時代にふさわしい内容につくりかえ、いっそう豊かなものにつくりあげていく世界になるであろう。
ここでは一度、多くの人々の記憶に今なお深く刻まれている、いわばこの暮らしの原形に立ち返り、「菜園家族」の未来の姿を考えるための大切な素材として、とりあえず素描しておくことにしよう。
今後、多くの人々の豊かな経験や優れた英知を結集しつつ、また、新たな時代の実生活の要請に応え、それぞれの地域の自然や歴史の多様性をも組み込みながら、あるべき未来の「菜園家族の世界」は、ますます具体的な内実をともなって、時代とともに豊かな像を結んでいくことになるであろう。
1.ふるさと ―土の匂い、人の温もり―
山や川や谷あい、それに野や海に恵まれた日本の典型的な地域では、「菜園家族」は、季節の移ろいの中で、自然の豊かな変化をも巧みに生かし、工夫を凝らす。家族総出で、それぞれの年齢や性別や、人それぞれの個性にあった能力を生かしつつ、お互いに助け合い、生活を愉しむのである。
食べ物は、今では“旬”が分からなくなってしまった。ガソリンと労力を浪費して、国内の遠隔地からだけではなく、海外からも運び込んだり、石油を使ってビニールハウスで真冬でも夏のものを栽培したりする。一見、一年中豊かな食材に恵まれているかのようである。
しかし、こうした「ぜいたく」は、世界人口の“5分の4”を占める先進工業国以外の人々の視点からすれば、許されるはずもない。それに本当は、その土地土地の土と水と太陽から採れる“旬”のものが、味も濃く、香りも高く、栄養もあり、一番おいしいはずである。それが自分の手作りとなれば、なおさらのことである。
自然は、今も昔も変わらない。残雪がとけ、寒気がゆるみはじめると、日本列島にまた、一気に春がやってくる。
日の光今朝(けさ)や鰯(いわし)のかしらより (蕪村)
三寒四温。まだまだ風は肌を刺すように冷たいのであるが、野生のフキノトウを探しにいくのもよいものである。晴れ間を待ちかねて出かけると、枯れ葉の陰に、淡い黄緑色に光るフキノトウを見つける。天ぷらや酢味噌あえ、フキノトウ味噌にし、春一番を胃袋に納める。根元に赤い紅を差したような色合いが、葉先の黄緑色を際立たせ、小さくとも力強さをいっそう感じさせる。
我宿(わがやど)のうぐひす聞(きか)む野に出(い)でて (蕪村)
山あいの畑には、大根やカブラやスイカ・カボチャ・ジャガイモ・サツマイモなども丹念につくることになる。田・畑の端には、ラッキョウやネギを植え、里芋やゴボウや人参なども、土地を選んで植えることになる。
家のすぐ近くには、苗代や手のかかる夏野菜をつくり、夏大根やカブラ菜・カラシ菜の間引き菜が大きくなれば、和え物・おひたし・浅漬に利用する。
菜の花や月は東に日は西に (蕪村)
菜の花畑一面、目にも眩しい黄色の広がり。のどかな春日を受け、山里に鮮やかな色彩を添える。花は摘んで浅漬にし、ご飯に添えてかきこめば、格別にそのシャリッとした歯ごたえを愉しむこともできる。
鯰(なまず)得て帰る田植えの男かな (蕪村)
5月は田植えの季節。エンドウ豆の青い匂いが懐かしい。さわやかな青空の下、新茶の茶摘み。6月はキュウリ・菜っ葉類、7月には茄子(なす)・瓜・カボチャ・青トウガラシがどんどん育つ。茄子やキュウリは塩や味噌で漬けて保存し、冬に備える。
夕だちや草葉をつかむむら雀(すずめ) (蕪村)
土用の頃、夕立雲が近づいてくると、子どもたちは慌てて田んぼの畦に、竹で円筒形に編んで作ったウツボという罠を仕掛ける。そして、雨が上がるのを待ちかねて、ウツボをあげに駆けていくのである。脂がのり腹を黄色くさせ丸々と太ったドジョウが、音をバタバタさせながらぎっしり詰まっている。子ども心にもこの一瞬は、何とも言いようのない一種不可思議で壮快な気分を味わう。このドジョウは、畑から摘んだニラと採りたての卵でとじて、家族そろって鍋にして英気を養う。こんなことは、幼い日の日常の愉しみであった。
暑い盛りには、なんと言っても焼き茄子が最高である。あるいは味噌に砂糖を少々加え、高温の油で炒めれば、茄子独特の深みのある濃い味わいが出て、これもよいものである。秋になると、茄子はいっそう味が深みを増す。「秋茄子、嫁に食わすな」ということばがあるくらいである。
秋茄子で思い出したのだが、モンゴルの遊牧民にも同じような話がある。ヒツジの胃袋の下の出口、つまり幽門あたりを、モンゴル語でノガロールと言って、これがまた脂がのってとびっきり旨いのである。未婚女性がこのノガロールを食べると、土地神が引きとめ、お嫁に行けなくなるという。
いざ食べ物のことになると、民族の垣根を越えて何か共通する発想があっておもしろい。こうした話は、食卓を囲む団欒をひときわ愉しくする。
貧乏に追いつかれけりけさの秋 (蕪村)
お盆がすむと、秋野菜の種播きにかかる。大根はタクアンや干し大根や煮しめや漬物にと、用途が多い。里芋の葉は夏に採って乾燥させ、白和えなどに使う。茎は皮をむき、10日ほど干して、和え物や煮物にも使う。雪が積もらないうちに、ゴボウや人参、カブラ・大根・ネギなどは土中に埋めて、冬に備える。
入道のよゝとまいりぬ納豆汁(なっとじる) (蕪村)
水田では、うるち米やもち米の稲を育て、それに畦には、大豆や小豆(あずき)・黒豆などを植える。こうして畑や水田からだけでも、1年間、絶えることなく、いろいろな作物が次から次へと湧き出ずるように出てくる。
鵯(ひえどり)のこぼし去りぬる実の赤き (蕪村)
時には、野山や川や湖や海辺を家族そろって散策し、川魚や海の魚介類・海藻を採って、食卓をにぎわすのも最高の愉しみになる。また、蕨(わらび)・ゼンマイ・フキ・ウド・ワサビ・ミツバ・山椒・ミョウガ・筍(たけのこ)・自然薯(じねんじょ)など、変化に富んだ山菜は、季節季節の愉しみである。松茸やシメジ・椎茸・平茸などのきのこ類や、栗・栃・桑・クルミ・スグリ・コケモモ・キイチゴなどの木の実は、山の散策をいっそう愉しいものにしてくれる。
たまには集落の人々と力を合わせ、ヤマドリや熊・鹿・イノシシ・ウサギ・蜂の子などの狩りをするのも、年に一、二度の愉しみになることであろう。
こうしたことは、食生活に変化を添えるだけではない。野山や川や海辺の自然に親しみ、太陽をいっぱい受け止め、きれいな空気を存分に吸い込み、身体を動かし、家族や友人とともに心を通わせ、ややもすると陥りがちな日常の沈滞から抜け出す絶好の機会にもなる。素朴ではあるが、英気を養う素晴らしいレクリエーションでもある。
鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半(よは)の門(かど) (蕪村)
なれ過(すぎ)た鮓(すし)をあるじの遺恨(ゐこん)哉 (蕪村)
田んぼや川や湖の魚は、今では少なくなってしまったが、「菜園家族」が復活し、近隣にある大学の水産学の研究室や水産研究所などと連携し、放流養殖や給餌養殖の研究、それに魚類資源保護の研究にもっと力が注がれるならば、昔以上に日本の魚類資源は、豊かになっていくであろう。
海の魚介類や海草はもちろん、鰻やドジョウ・ナマズ・鮒(ふな)・鯉・ゴリ・モロコ・岩魚(いわな)や鮎・アマゴ、そしてシジミ・タニシなど、高級魚介類に限らない多種多様な地魚や地場の水産物をもう一度うまく活用できる時代が、きっとやってくるにちがいない。
農学や林学や水産学などを研究している大学や研究機関との連携はますます強化され、地域住民の知恵は、研究に大いに生かされることになるであろう。
青うめをうてばかつ散る青葉かな (蕪村)
屋敷のまわりには、柿や梅や桜や栗など、それにイチジクやザクロや梨などのほかに、ケヤキや檜や樫などが植えられる。住空間に落ち着きを与えるだけではなく、風通しのよい木造建築に木陰をつくる。
夏は密閉してクーラーで冷やすのではなく、開放して自然の風を通し、暑さを凌ぐのである。住居の構造も、こうしたものに工夫されていくことであろう。エネルギーの消費量は大幅に削減され、それに、太陽光や太陽熱、風力、小水力、地熱、バイオマス(薪、炭、木質ペレット・チップ、家畜糞尿等)など、地産地消の小規模・地域分散型エネルギーの研究も一層すすみ、「菜園家族」は、自然のエネルギーを地域住民主体で有効に活用していくことになる。
田に落(おち)て田を落(おち)ゆくや秋の水 (蕪村)
こうした住環境の中では、柿の木から柿をもぎとり、畑からとれた大根や人参を使って柿なますを作るのもいい。細切りにした干し柿を酢に漬け、大根と人参の千切りを加え、鉢に盛りつけて、すり胡麻をかけると、柿の甘さが生きてくる。これもすべて身近なところでとれた食材に、気軽にちょっぴり工夫を加えた手作り料理なのである。
また、茄子とエンドウは、食べやすく切って湯がき、ミョウガの子は、塩で殺し、茄子とエンドウ豆と一緒に胡麻味噌で和える。こうした工夫は、いちいち挙げればきりがない。
黄に染(そみ)し梢(こずゑ)を山のたたずまゐ (蕪村)
屋敷から少し離れた周囲には、ニワトリやヤギやヒツジや乳牛の家畜類やミツバチを飼育するのも、「菜園」にバラエティーをもたせる上で大切なことである。ヤギや乳牛の乳を搾り、ニワトリから産みたての卵がとれれば、生チーズやバターやヨーグルト、それに自家製のパンやケーキなども作りたくなる。ヨーグルトやパンに、野山の花々の天然ハチミツをかければ最高である。創意工夫は、際限なく広がっていく。
こうした家畜・家禽類は、田や畑からとれるものを無駄なく活用する上でも、また、堆肥を作るのにも即、役立つものである。堆肥を施し、丹精を込めて作りあげたふかふかの土の中から、秋の味覚サツマイモがとれれば、お隣りや近所にもお裾分けしたくなるのが人情である。これはまさに、自分が苦心して創作した「芸術作品」を、他の人にも鑑賞してほしいという、自己表現の本質につながる普遍的な行為なのかもしれない。
我宿(わがやど)にいかに引(ひく)べきしみづ哉 (蕪村)
家畜の中でも特にヤギは、乳牛に比べて体も小さく、扱いやすく、子どもたちやお年寄りでも気軽に世話ができる。粗食に耐え、どんな草でも食べるので、田んぼの畦道や畑や屋敷などの除草の役割も果たしてくれる。それに山あいや谷あいの林や森の下草などの除草にも役に立つ便利な家畜なのである。
西部モンゴルのゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村での体験からであるが、日本でも地方によっては、山林の麓の一部や尾根づたいにヤギのために高原牧場を拓き、ヤギを群れで管理するのも雄大で面白い試みであろう。
ヤギの搾乳は、これもまた乳牛に比べるとずっと簡単で、子どもたちでもお年寄りでも気軽にできる仕事である。子どもたちにこの小型の家畜の世話を任せると、情操教育にはうってつけである。
鮒(ふな)ずしや彦根が城に雲かかる (蕪村)
ヤギの乳からできるヨーグルト、それに各種のチーズの味は、鮒ずしや鯖のなれ鮓(ずし)の風味に似て絶品である。良質の蛋白質、脂肪、ミネラル、とくにカルシウムを豊富に含んだヤギのチーズは、現代の食生活に最もふさわしい優れた食品になるであろう。
チーズは風土の産物ともいわれている。姿、味、香りもそれぞれ違う。それだけに、作る愉しみは格別で、芸術作品の制作にも劣らぬ喜びがあるといわれている。たまには隣近所の人々が集まって、知恵を出し合い、共に料理を作ることもあるだろう。あるいはパーティーや宴会がどこかの家で開かれることになれば、こうした“作品”をもち寄って、お家自慢に花が咲く。
主(ぬし)しれぬ扇(あふぎ)手に取(とる)酒宴かな (蕪村)
1999年夏、ドキュメンタリー『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(小貫・伊藤共同制作、三部作全六巻・7時間40分、1998年)の上映の旅で訪れた、沖縄・八重山群島の竹富島。そこでご馳走になった“ヒージャー・チャンプルー”は、忘れられない味である。
ヒージャー(土地の言葉でヤギのこと)の背の肉をぶつ切りにし、あとはタマネギ、キャベツ、それにパパイヤを大きめに切って加えて炒めるだけである。パパイヤの甘味と酸味が、ヒージャーのしまった肉にしみわたり、やわらか味が出て、なんとも言いようのないまろやかな風味を醸し出す。
モンゴル、山岳・砂漠の村ツェルゲルのヤギ・ヒツジ料理にも感心したが、やはり土地土地の風土にふさわしいものができあがるものである。
ヤギは、乾燥アジア内陸に位置するモンゴルでも、高温多湿な南の島・沖縄でも、大活躍である。この小型で多種多様な役割を一手に引き受けてくれるヤギたちを、「菜園家族」は、自分たちの暮らしの中にもっともっと生かすことであろう。日本のふるさとには今までに見られなかった田園風景の美しさ、そして暮らしの可能性を、ヤギたちはうんと広げてくれるであろう。
古酒(くす)乾(ほ)して今は罷(ま)からん友(とも)が宿 (雅)
竹富島のすぐ隣りの石垣島。はじめてお会いした八重山農林高校の江川義久先生ご夫妻には、大変お世話になった。空港に降り立ったときから島を離れるまで、上映活動を付きっきりで支えて下さったのである。
南の島々の暮らしや、ふるさとの自然に生きる人々の心に触れ、得るものの多かったこの旅の最後の夜、先生は、ご自宅に招いて下さった。床の下の甕(かめ)に寝かせて大切にとっておいた、何年物の泡盛を酌み交わし、夜の更けるのも忘れて語り合ったのである。
あれから25年余の歳月が経った。今、石垣島では、台湾有事に備え、「島民を守るために」と言う口実のもと、自衛隊、米軍の最前線基地の建設がごり押しに進められている。こんなことが再びあの沖縄にあっていいのであろうか。
朝霧や絵にかく夢の人通(ひとどほ)り (蕪村)
※ 蕪村の句は、尾形仂 校注『蕪村俳句集』(岩波文庫、1989年)に拠る。
2.家族に甦るものづくりの心、ものづくりの技
いずれ、「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた「菜園家族」は、土地土地の気候・風土にあった、しかもこの家族の仕事の内容や家族構成にふさわしい住環境を整えていくことになるでろう。菜園の仕事や家畜の飼育の場、収穫物の加工場や冬の保存食の貯蔵庫など、また手仕事の民芸や、文化・芸術の創作活動などにもふさわしい工房やアトリエを備えた住空間が、必要になってくる。
新建材や輸入木材に頼る従来の方式にかわって、身近にある豊かな森林を活用する時代が再びはじまる。近隣の集落や都市の需要に応えて、日本の林業は次第に復活し、枝打ちや間伐や植林など、それに炭焼きの山仕事、さらには薪や木質ペレットやチップづくりもはじまり、森林は、地元の山村はもとより、山のふもとから広がる平野部農村に散在する「菜園家族」や都市住民のための、重要な燃料エネルギー供給源としても復活していくことになるであろう。
こうして次第に人々が必要に応じて山に入るに従って、針葉樹の杉や檜に代わって、楢やブナやクリなどの落葉樹や、楠や樫や椿の照葉樹なども次第に植林され、日本の森林の生態系は、大きく変化していく。密生した暗い杉や檜などの針葉樹の森にかわって、次第に落葉樹が広がり、太陽の射し込む明るい森林に変容し、昆虫類や木の実を求めるリスなどの小動物も繁殖し、人間の住空間も、やがて山の奥にむかって広がりを見せていくであろう。
このようにして森林の生態系が変容するにつれて、今日、農家が悩まされているイノシシ、サル、シカ、クマなどによる獣害問題も、次第に解消されていくに違いない。
これまで大都市に集中してきた日本の家族は、「菜園家族」の魅力にひかれて地方へと移動をはじめ、中山間地にも広がり、国土全体に均整のとれた配置を見せながら、平野部から山麓へ、そして谷あいを伝って奥山へと、土地土地になじんだ菜園と住空間の美しいモザイク模様を広げていくことであろう。
ところで、昔から職人には、「鋸(のこ)は挽(ひ)き方、鉋(かんな)はつくり方」という言い伝えがある。鋸は挽き方が悪いと、どんなにいいものでも切れないものである。しかし鉋は、重くて硬い樫の木で作られていて、刃をしっかり研(と)いで仕込みをちゃんとしておけば、削れるものだという意味である。
今ではもう大工道具などは日常の暮らしの中からは、とうに消えてしまった。こうした大工道具の微妙な使い方の違いや、年季の入った“技”などは、はるか昔に忘れられてしまったのである。
時間と心の余裕を取り戻した「菜園家族」は、ゆとりある暮らしの中から、再び山の木々を暮らしの中に活かす愉しみをとり戻すことであろう。ブナや楢やケヤキの木は、木工芸品の材として、やがてテーブルや椅子や箪笥(たんす)・食器棚や、子供たちの玩具にも使われるようになるであろう。そして、代を重ねて使えば使うほど、落ち着いた重厚な光沢が増し、人間の心をなごませてくれる。
今流行の機能的で軽便な家具類などは、使って年月が経つと薄汚くなり、その点では足もとにも及ばない。
日本伝統の木造の家は、木を主体にして、土と紙を加えてできている。柱は杉がよく使われ、柱と柱の上部に渡して垂木(たるき)を受ける桁(けた)や、上部の重みを支え、柱と柱の間にかける梁(はり)は、曲げに強い松やケヤキや栃やクリなどが使われる。なかでも吸湿性にすぐれた日本の杉は、湿度と温度を日本の気候と風土に合わせて調節してくれる。
清楚でつつましやかな生き方というものと、杉の飾り気のない材質は、見事に合っていた。夏になって障子が開け放たれ、杉の柱が重なる向こうに、縁側が見え、庭の広がる日本の木造建築独特の美しさは、杉の清楚な素材があって成り立っている。こうした住環境は、やがて「菜園家族」とともに復活してくることであろう。
また香りもほのかな杉は、食生活の分野でも大活躍である。杉の樽の酒は、お酒の香りを含みのある豊かなものにし、味噌・しょうゆ・漬物の樽としても愛好されてきた。
一方、檜は水に強いので、お風呂の浴槽や流し板などにも使われる。檜風呂は新しければ新しいなりに、ほのかな香りとともに爽やかである。逆に年季が入ると、まろやかな肌ざわりは、心を和ませてくれる。檜の風呂は、タイルなどの浴槽とは一味も二味も違うものである。
ここにあげた例は、ほんの一例にしか過ぎない。日本人は遠い昔から、針葉樹や落葉樹や照葉樹といった実に多様な性質をもった樹木を、その材質を熟知した上で、暮らしの中に生かしてきた。
こうした日本人の暮らしに最もなじみの深い樹木に、竹がある。
竹は、昔から籠(かご)にもっとも多く使われてきた。背負子(しょいこ)にはじまり、手さげの籠。また、竹のザルにも、円形や半円形、馬蹄形や正方形などいろいろな形があり、サイズも変化に富んでいる。それに、穀類を入れるもの、野菜や山菜、ウドやソバを扱うものと、その用途用途に応じて、竹の太さまで微妙に違う。
「ウツボ」などの漁具もあり、また、魚を入れる大小さまざまな籠などがある。小さいものでは竹の鳥籠、もっと小さくなれば竹の箸や茶筅や茶匙などもある。
このように竹は、日本人の暮らしの中で幅広い分野を支え、人々に親しまれてきた。現代の私たちの暮らしの中で見られる金属パイプやプラスチックの棒や筒は、かつてはすべて竹でまかなわれ、タオル掛けや箒(ほうき)やハタキの柄、物干し竿や釣り竿など、すべて竹だった。
光が射し込む窓の障子。木の枝が影絵のように揺らぐ障子の桟(さん)にも、竹が使われている。微妙に曲がった竹を桟に使う感覚は、さすがだ。細く割られた竹の手触りや曲がり具合を、手先で読みとり、見事に編んでゆく竹細工職人。こうしたものを私たち日本人は、なぜ捨ててきたのであろうか。
日本は海の国であると同時に、森の国でもある。やがて、「菜園家族」が復活したならば、この豊かな資源を、ただ経済的実益の視点からだけではなく、私たちの精神を豊かなものに甦らせるためにも、昔の人々の知恵に学びながら、それを生かしていく時代がきっとやってくる。
3.土が育むもの ―素朴で強靱にして繊細な心―
「菜園家族」にとって、畑や田や自然の中からとれるものは、そしてさらにそれを自らの手で工夫して加工し作りあげたものは、基本的には家族の消費に当てられ、家族が愉しむためにある。その余剰はお裾分けするか、一部は交換されることもあろう。また、河川上流域に位置する内陸部の山村であれば、当然のことながら、下流域の海辺や湖畔の漁村との間に、互いの不足を補い合うモノとヒトと情報の交流の道が開かれてくる。
しかし、これらはすべて、従来のような市場原理至上主義の商品生産下での流通とは、本質的に違うものになるはずである。
なぜならば、本連載の第6章「『菜園家族』社会構想の基礎」で詳しく述べたように、「労」「農」人格一体融合の「菜園家族」では、基本的には自給自足され、しかも週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとで、週数日の“従来型の仕事”に見合った応分の給与所得が安定的に確保されているために、人々の欲求は専ら多種多様な文化・芸術活動やスポーツやそれぞれの趣味・嗜好などの類いに向けられ、そこでの愉しみを人々とともに共有することが、最大の関心事になるからである。
したがって、そこでは営利のための商品化のみを目的にした生産にはなりにくく、流通の意味も本質的に変わってくるはずだ。
菜園や棚田、果樹、茶畑、林業、薪・木炭、シイタケ栽培、ヤギや乳牛の高原放牧、養鶏、養蜂、狩猟(イノシシやシカなど)、渓流釣り、木の実などの採取、ぶどう酒の醸造、チーズづくり、郷土色豊かな料理や保存食の加工、天然素材を用いた道具・容器や木工家具の製作、漆工芸、陶芸、裁縫、服飾デザイン、手工芸等々・・・。これらの中から家族構成に見合った多様な組み合わせを選択し、多品目少量生産の自立した豊かな家族複合経営を次第に確立していく。
秋晴れの気分壮快な日などは、家族みんなそろって山を散策し、きのこや山菜を採ることもあるであろう。祖父母は両親へ、両親は子どもたちへと知恵を授ける絶好の機会にもなる。こうして家族そろって自然の中をのびのびと行動する愉しみは、自然と人間とのかかわりや郷土の美しさ、年長者の豊かな経験の素晴らしさを、子どもたちの脳裏にいつまでも焼き付けていくことになろう。
このように「菜園家族」は、日常のゆとりある暮らしの中で、三世代が相互に知恵や経験を交換し合い、切磋琢磨しながら、土地土地の風土に深く根ざした“循環の思想”に彩られた倫理、思想、文化の体系を長い歴史をかけて育んでいく。
やがて、こうした暮らしの中から、素朴で郷土色豊かな手仕事の作品をはじめ、大地とその暮らしに深く結びついた絵画や彫刻、民衆の心の奥底に響く歌や音楽や舞踊や演劇、さらには詩や散文など文学のあらゆるジャンルの作品が生み出されていく。作品の展示や発表など、交流の場も地域に定着していくことであろう。
「菜園家族」とその地域は、歴史を重ねながら、市場競争至上主義の慌しい「拡大経済」の社会にはなかった、「自然循環型共生」の社会にふさわしい、ゆったりとしたリズムとおおらかな人生観、世界観を基調とする新しい民衆の文化、生き生きとした民芸やフォークロアの一大宝庫を創りあげ、子どもや孫の世代へと受け継いでいくにちがいない。
「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた「菜園家族」社会の際立った特徴は、週に(2+α)日間、“菜園の仕事”をすると同時に、家事や育児や子どもたちの教育、それにこうした新しい文化活動を楽しみながら、両親を基軸に、子どもたちや祖父母の三世代家族が全員そろって協力し合い、きわめて人間的な「共感能力」(慈しむ心)を育み、支え合っている点にある。
両親が基軸になって活動しながらも、子どもたちは子どもたちの年齢に見合った活動をし、祖父母は祖父母の年齢にふさわしい仕事をする。それぞれの年齢や性別によって、仕事の種類や内容はきわめて多種多様であり、知恵や経験も、そして体力も才能もまちまちである。こうした労働の質の多様性を総合することによって、「菜園家族」はきめ細やかに無駄なく円滑に、仕事や活動の総体をこなしていく。その中で、「菜園家族」に蓄積されたこまごまとした繊細で豊かな“技”が、親から子へ、子から孫へと継承されていく。
子どもたちが病気で寝込むこともあろう。その時には、両親や祖父母が看病し面倒を見ることになる。また、祖父母が長期にわたって病床に伏すこともあろう。その時には、子どもたちが両親に代わって枕元にお茶やご飯を運んだり、祖父母の曲がった背中や冷えた手足をさすったりする。子どもたちができることは、子どもたちが手伝ってくれる。そこには自ずと温もりある会話も生まれる。
まさにこうした体験こそ、きわめて人間的な「共感能力」(慈しむ心)を発揮し、さらなる豊かな感性へと発達させていくかけがえのない局面であり、それを可能にする場こそ、人類にとって原初的な基礎的共同体としての「家族」なのである。
こうした家族内の仕事の分担や役割は、子どもたちの教育にも、実に素晴らしい結果をもたらすことになる。
祖父母の苦しみを見つめ、それを手助けする。このような日常普段の人間同士の触れ合いの中から、子どもたちの深い人間理解が芽生えてくる。言ってみれば、子どもが枕元にお茶を運ぶという一つの行為が、祖父母にとっては心あたたまる何よりの介護となり、かつ、子どもにとってはかけがえのない人間教育にもなっているというように、こうしたささやかな一つの行為が、「介護」と「教育」という二つの機能を同時に果たしていることにもなる。
しかもこの二つの機能は、それぞれ金銭的報酬によって成立しているわけではない。このことは、社会的分業化と専門化が極端に進む現代では、かえって人間の行為が本来持つ機能の多面性が分割・単純化され、暮らしの身近な場面で豊かな人間発達の条件が奪われ、経済的合理性をも同時に損なう結果になっていることを意味している。このことに刮目する必要があろう。
三世代「菜園家族」を基盤に成立するこの社会は、市場原理至上主義の「拡大経済」社会に対峙するところの「自然循環型共生」の社会である。この自然循環型共生社会(じねん社会)に暮らす人々は、これまでの「拡大経済」社会のように、欲望を煽られ、“浪費が美徳”であるかのように思い込まされることもなくなる。相手を倒してでも生き残らなければ生きていけないような、そんな弱肉強食の熾烈な競争原理がストレートに支配する社会ではないのである。
それどころか「菜園家族」を基調とするこの自然循環型共生社会(じねん社会)では、人々は大地に直接働きかけ、みんなそろって仕事をし、共に助け合い、共に暮らす「共生」の喜びを享受することになる。人々は、自然のリズムに合わせてゆったりと暮らし、自然の厳しさから敬虔な心を育んでいく。
人々は、こうした自己形成、自己実現によってはじめて、自己の存在そのものを日々確かなものにしていく。そして、“競争”にかわって“自己鍛錬”が置きかえられ、その大切さをしみじみと実感する。それが生きるということなのではないだろうか。かつての農民や職人たちのひたむきに生きる姿を思い浮かべるだけでも、人間にとって“自己鍛錬”のもつ意味が頷けるような気がする。
やがて、「菜園家族」を基盤に地域社会が形成され円熟していくならば、こうした「菜園家族」内に培われる“自己鍛錬”のシステムと、先にも触れた「家族」が本来もっている子どもの教育の機能とがうまく結合し、その土台の上にはじめて公的な学校教育が、子どもたちの成長を着実に促していくことになる。
「家族」に固有の繊細で豊かな機能が空洞化し、その両者の結合と、それを基盤にした公的教育の成立を不可能にしているところに、今日の学校教育の破綻の根本原因があるのではないだろうか。今日、深刻な社会問題と化した児童虐待や「ひきこもり」も、こうした「家族」と「地域」と「学校」との三者が有機的に融合した生活世界からは、起こりにくくなるであろう。
「菜園家族」の人々は、やがて市場原理至上主義「拡大経済」下の営利本位の過酷な労働から次第に解き放たれ、本来あったはずの自分の自由な時間を自己のもとに取り戻し、「菜園」をはじめ、文化・芸術など創造的で精神性豊かな活動に振り向けていくことであろう。
そして、大地に根ざした素朴で強靱にして繊細な精神、人類始原の原初的「共感能力」を甦らせ、慈しみの心、共生の思想を育みながら、人類史上いまだかつて経験したことのなかった、いのち輝く暮らしと豊かな精神の高みへと、時間をかけてゆっくりと到達していくにちがいない。
4.家族小経営の歴史性と生命力
―CFP複合社会展開の鍵を握るセクターFとその未来―
家族小経営の発展を阻害する歴史的・社会的要因、反転への新たな条件と可能性
日本の近現代史に則して振り返ってみればはっきりしてくるように、明治以来、日本資本主義は自己の発展のために、初期の段階から、農村社会の基盤を成す農民家族から娘を紡績女工として引き抜き、また農家の次男・三男を賃金労働者として大量に都市へ連れ出し、農民家族をたえずその犠牲に晒してきた。
そして、戦後においてもある意味では大きく内外の諸条件が好転したものの、その傾向が一貫して貫かれてきたという点では変わりはなく、今日においてもその傾向はますます強まり引き継がれている。
戦後間もなく農地改革が断行され、地主・小作制は廃止され、土地は農民の手に返ってきたものの、それも束の間、朝鮮戦争の軍事特需を契機に、戦後日本の資本主義の復活は急速に進んだ。高度経済成長期の農村からの中・高校生の集団就職をはじめ、恒常的な大都市への労働人口の移動の加速化によって、農村と農業は切り捨てられていった。
こうして、工業製品の大量輸出、工業用原料と農産物の大量輸入を基調とする今日の大量生産・大量浪費・大量廃棄型の経済の基礎が築かれ、市場原理至上主義アメリカ型「拡大経済」の道を突き進んでいった。
この歴史的経過の中でおこなわれてきたことは、徹底した分業化と、資本の統合による産業の巨大化であり、これによって農村における農民家族の経営基盤の衰退と、都市における家族機能の空洞化が加速され、その結果、都市のみならず、今日では農村においても家族は危機的状況に晒されている。
本連載の第6章「『菜園家族』社会構想の基礎」で述べた、「労」「農」人格一体融合の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を基調とするCFP複合社会は、世界史的に見れば、18世紀イギリス産業革命以来の一貫した生産の分業化と資本の統合による巨大化の道に歯止めをかけ、さらにその向きを逆転させようとするものである。それは、「家族」および家族小経営それ自体がもつ人間形成の優れた側面と、小経営そのものに内在するエコロジカルな本質の現代的意義の再評価によるものなのである。
また、日本の近代史に則して説明するならば、明治初期の日本資本主義形成期の時点に遡り、そこから出発して、日本資本主義が、資本主義セクターCと家族小経営セクターFとのいかなる相互関係のもとに形成されてきたのか、その歴史的過程を十分に検証しつつ、未来にむかってその両者の関係を適正かつ調和のとれたものに組み換え、さらに社会の枠組みを根源的に建て直そうとする壮大な試みでもある。
しかしそれは、単に昔にそのまま戻るということを求めているのではない。戦後の農地改革以前にあっては、地主・小作関係のもとで、農民家族の大部分は土地を奪われ、地主に小作料を支払わなければならないというきわめて過酷な状態にあり、家族小経営の基盤そのものが脆弱であったのに対して、戦後は農地改革によって、農地は耕作者自らのものとして所有されることになった。
今後育成される「菜園家族」は、まず、既存の農家から移行する場合、その出発点において既に家族小経営の自立の基盤が用意されているというきわめて有利な点が挙げられる。また、都市からの移住者の場合は、本連載の第9章1節「地域再生の究極の鍵」で後述するように、農地とワークの一体的シェアリングの機能を担う公的「農地バンク」を通じて、必要な農地を保障する制度が整備されることから、いずれの場合も、かつてとは異なり、健全な家族小経営の基盤の上に成立し得る有利な条件を持つことになるのである。
もう一つの利点は、今日では、明治初期の産業革命当初とは比較にならないほど高度な科学技術の水準にあり、これを自然循環型共生の生産と暮らしのために適正に活用することが可能であれば、セクターFの家族小経営は、はるかに明るい展望のもとに生き生きと甦ってくる可能性が大いにあるということである。
こうした現代的利点を考えると、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)によるこのCFP複合社会は、決して単なる夢、空想などではなく、21世紀をむかえた今、18世紀以来の歴史的経験と今日の現実の発展水準を組み込む時、きわめて現実性のある構想として浮かびあがってくるのである。
「労」「農」人格一体融合の「菜園家族」とヒトの原初的「共感能力」(慈しむ心)の再建
「菜園家族」は、自然の中で大地に直接働きかけ、自己の自由な意志に基づいて自らの暮らしを営み、その成果を直接的に身近に肌で感じ、自己点検と内省を繰り返しながら絶え間なく創意工夫を重ねていく。
「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた「菜園家族」は、CFP複合社会の中にあって、人々の自己鍛錬と人間形成の大切な「学校」の役割を担うものである。しかも、「家族」という小さな基礎的共同体の場で、人々が共に生きるという“共生の精神”を同時に育み、それを土台にして、さらに「地域」へとその広がりを見せていく可能性がある。
既に見てきたように、ヒトの「常態化した早産」に起因して、「未熟な新生児」を受け入れ長期にわたって庇護する必要性から、他の哺乳動物には見られない、人間に特有の基底的発達事象「家族」の発生を見ることになる。
この稀に見る発達事象「家族」を基底に、人間発達の他の3つの事象、すなわち「言語」、「直立二足歩行」、「道具」の発達が相互に密接・有機的に作用し合い、ヒトの脳髄は特異な発達を遂げてきた。
ここでもう1つ見落としてはならない大切な発達事象として、人類始原のヒトに特有の感性、すなわち原初的「共感能力」(慈しむ心)が芽生えてきたことをもう一度、再確認しておこう。
二百数十万年と言われる人類史の大半を占める、長期にわたる原始無階級社会、つまり人類始原の自然状態にあって、ヒトに特有のこの原初的「共感能力」(慈しむ心)、すなわち他者の痛みや喜怒哀楽を自らのものとして受け止め、共振・共鳴する能力は、緩慢とは言え、徐々に繊細かつ豊かな発達を遂げてきた。
この原初的「共感能力」(慈しむ心)は、人間に豊かな感情の発達を促し、他者を思い遣る心情、さらには人間最高の価値としての真・善・美へと発達させ、それらの調和へと到達させていく。そして、数々の倫理規範をも編み出し、ついには普遍的愛へと昇華させていくのである。
人類が科学技術の発達のみではなく、ほんとうに人間精神の進歩を期待するのであれば、この「家族」、そして家族小経営は、おそらく永遠といってもよいほどの長期にわたって、人類史上必要不可欠なものとして存在し続けることであろう。家族小経営セクターFから輩出される新しいタイプの人間群像の如何によって、CFP複合社会の成否と未来への展望は決定される。
永遠とも思える長期にわたる人間鍛錬の歴史のあかつきには、人間の魂は精神の高みに達し、やがて、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の大多数の人々がその域に達した時に、「欲望原理」を基本に成立する資本主義セクターCは、次第にその存立の根拠を失い衰退し、「共生原理」を基本とする公共的セクターPへの移行は、徐々に、しかもきわめて自然な形ではじまるにちがいない。
しかも、その後においても、セクターFの家族小経営は、依然として、大地と人間をめぐる物質代謝の悠久の循環の中に融け込むように、人間精神の安定した“よすが”として存在し続けることは間違いないであろう。
“生命系の未来社会論”具現化の道であるこの21世紀「菜園家族」社会構想は、人類史における家族小経営の歴史のどの時代にもなかった、そしてこの地球のどの地域にも見られなかった、「自立と共生」の理念にもとづく家族小経営の素晴らしい高みを実現する試みとして、位置づけられるべきものなのである。
◆「いのち輝く共生の大地」第7章の引用・参考文献(一部映像作品を含む)◆
尾形仂 校注『蕪村俳句集』岩波文庫、1989年
農文協各県編集委員会 編『日本の食生活全集』(全50巻)農山漁村文化協会、1984~1993年
河井智康『日本の漁業』岩波新書、1994年
吉田桂二『民家に学ぶ家づくり』平凡社新書、2001年
小林俊夫「山羊とむかえる21世紀」『第4回全国山羊サミットinみなみ信州 発表要旨集』日本緬羊協会・全国山羊ネットワーク・みなみ信州農業協同組合生産部畜産課、2001年
日本放送出版協会 制作『国産ナチュラルチーズ図鑑 ―生産地別・ナチュラルチーズガイド』中央酪農会議・全国牛乳普及協会・都道府県牛乳普及協会、2000年
スー・ハベル『ミツバチと暮らす四季』晶文社、1999年
佐々木正己『ニホンミツバチ ―北限のApis cerana―』海游舎、1999年
映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』小貫雅男・伊藤恵子共同制作(三部作全六巻・7時間40分)、大日、1998年
稲本正『森の博物館』小学館、1994年
稲本正 編『森を創る 森と語る』岩波書店、2002年
西口親雄『森林への招待』八坂書房、1996年
山岸清隆『森林環境の経済学』新日本出版社、2001年
江上徹「近代末期の地平から家族と住まいの100年を省みる」『住まいの100年』日本生活学会編、ドメス出版、2002年
増井和夫『アグロフォレストリーの発想』農林統計協会、1995年
柳宗悦『手仕事の日本』岩波文庫、1985年
水尾比呂志 編『柳宗悦 民藝紀行』岩波文庫、1986年
柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫、1993年
記録映像番組『ふるさとの伝承』(各回40分)、NHK教育テレビ、1995~1999年放送
浜田久美子『森の力 ―育む、癒す、地域をつくる』岩波新書、2008年
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★ 長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の≪目次一覧≫は、下記リンクのページをご覧ください。
https://www.satoken-nomad.com/archives/4114
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2024年11月15日
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