長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第6章(その2)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―

第6章
 「菜園家族」社会構想の基礎
 
―革新的「地域生態学」の理念と方法に基づく―
 (その2)

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第6章(その2)
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2011.9.8大君ヶ畑集落を流れる犬上川(北流)trim
鈴鹿山中を発し、大君ヶ畑(おじがはた)集落を流れる犬上川北流(滋賀県犬上郡多賀町)。やがて彦根市街を貫流し、琵琶湖に注ぐ。

5.森と海を結ぶ流域地域圏(エリア) ―「菜園家族」を育むゆりかご―

 本連載の第1章2節で述べたように、日本列島の各地に息づいていた森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)は、戦後、1950年代半ば以降の高度経済成長の過程で急速に衰退していった。重化学工業重視路線のもと、莫大な貿易黒字と引き換えに、国内の農林漁業は絶えず犠牲にされ、人々は農山漁村の暮らしをあきらめ、都市へと移り住んでいった。

 上流の山あいの集落では、若者が山を下り、過疎・高齢化が急速に進行し、空き農家が目立つようになった。「限界集落」と化し、ついには廃村にまで追い込まれる集落が随所に現れている。平野部の農村でも、やはり農業だけでは暮らしていけなくなり、今や農家の圧倒的多数が兼業農家となった。しかも、近郊都市部の衰退によって、兼業すべき勤め先すら危うくなり、後継者の大都市への流出に悩まされている。
 これまで流域地域圏(エリア)の中核となってきた歴史ある地方中小都市では、巨大量販店が郊外に現れ、従来の商店街や町並みの空洞化現象が深刻化している。

 もとより週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)による「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけない。また、グローバル市場経済が席捲する今日、ひとりでに創出され、育っていくものでもない。
 今ここであらためて「菜園家族」を育む“場”として、かつて高度経済成長期以前まで生き生きと息づいていた、森と海(湖)を結ぶモノとヒトと情報の循環型流域地域圏(エリア)を思い起こす時、その再生が「菜園家族」の創出と育成にとって、なくてはならない大切な前提条件になることに気づかされる。つまり森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)は、「菜園家族」を産み出すいわば母体であり、それを育むゆりかごなのである。

図6-2-1 森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏
図6-2-1 森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏
(注)山中から琵琶湖に注ぐ主要河川に沿って、中核都市を含む11の流域地域圏が想定される。

 また、見方を変えれば、この森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)再生の担い手であり、主体であるのは、ほかでもない「菜園家族」である。したがって、「菜園家族」と森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の両者は、消長の命運をともにする不可分一体の関係にあると言える。
 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングの進展にともなって、この森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)では、水系に沿って、これまでとは逆方向に、平野部の過密都市から中流域の農村へ、さらには上流の森の過疎山村へと、人々は無理なく還流していくであろう。

今こそ地域分散・自然循環型の国土構想を
  さて、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会では、セクターFの「菜園家族」とその他「匠・商(しょうしょう)」の自営業家族 は、自給自足にふさわしい面積の畑や田からなる「菜園」を、安定的に保有することになる。有効に利用できずに放置された広大な山林や増大する耕作放棄地をはじめ、農地、工業用地、宅地などを含め、国土の自然生態系は総合的に見直されなければならない。そして、「菜園家族」の育成という目的に沿った国土構想が練られ、最終的には、土地利用に関する法律が抜本的に整備されていくであろう。

お風呂を焚く薪を取り出す一市おじいさん
お風呂を焚く薪を取り出す(鈴鹿山中・大君ヶ畑=滋賀県犬上郡多賀町)

 「菜園家族」のゆとりある敷地内には、家族の構成や個性に見合った、そして世代から世代へと住み継いでいける、耐久性のある住家屋(農作業場や手工芸の工房やアトリエなどとの複合体)が配置される。もちろん、建材に使用するのは、日本の風土にあった国産の木材である。「菜園家族」にとって、週に(2+α)日間はこの「菜園」が基本的生活ゾーンになり、セクターCまたはセクターPでの“従来型”の職場(民間の企業や公共的機関など)は、しだいに副次的な位置に変わっていく。

 先述のように、従来、科学技術の発展の成果は、企業間の激しい市場競争のために、つまり、商品のコストダウンや目新しい商品開発のためにもっぱら振り向けられてきた。そして「グローバル市場競争に生き残る」という口実のもとに、労働の合理化やリストラが公然とまかり通り、不安定労働が増大し、人々はかえって忙しい労働と苦しい生活を強いられてきた。
 しかし、「菜園家族」を基調とするこのCFP複合社会にあっては、市場競争ははるかに緩和され、科学技術の成果は、もっぱら「菜園家族」とその他「匠・商」の自営業を支える広範できめ細やかなインフラに振りむけられていく。それはまた、押し寄せるグローバル市場競争の荒波の侵蝕に抗して、対抗軸ともなるべき内需基調の地域循環型経済システムの構築を促すことにもなるのである。
 こうして人々は、過密・過重な労働から解放される。その結果、自給自足度の高い「菜園家族」とその他「匠・商」の自営業家族は、時間的なゆとりを得て、自らの地域で自由で創造的な文化活動にも情熱を振りむけていくことになるであろう。

 このように森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)が甦れば、人々が仕事の場を求めて大都市に集中する現象は、大幅に減少するはずである。そうなれば、通勤ラッシュや工場・オフィスの大都市への集中は、自然に解消されていく。大都市における自動車の交通量は激減して、交通渋滞はなくなり、静かでゆとりのある街が取り戻されていくことであろう。このことの必要性は、新型コロナウイルス・パンデミックの事態の中で、多くの人々があらためて痛感したことである。

 それだけではない。日本が地震大国であるという自覚のもとに、それこそ住民の安全・安心を本当に考えるというのであれば、人口の大都市集中の解消は、今後30年間にマグニチュード7クラスの直下型地震が発生する確率が70%と言われている首都圏をはじめ、南海トラフ巨大地震の発生が危惧されている東海・東南海・南海地方の大都市圏にとって、真剣に議論されなければならない緊急の課題であるはずだ。こうした側面からも、「菜園家族」社会構想は人口の大都市集中の解消と地域分散型の国土計画を重視している。

2024.9.8琵琶湖畔・山上の彦根城と市街地trim
「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏の中核都市・彦根(琵琶湖畔)

 「菜園家族」社会構想のもとで、やがて巨大都市の機能は、地方へ分割・分散され、中小都市を核にした美しい田園風景が地方に広がっていくことであろう。今、衰退の一途を辿る森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の中核都市は、地方経済の結節点としての機能を果たしながら、文化・芸術・学問・娯楽・スポーツなどの文化的欲求によって人々が集う交流の広場として、精神性豊かなゆとりのある文化都市に、次第に変貌していくにちがいない。

 こうして、21世紀の新しい人間の社会的生存形態である、「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた「菜園家族」が地域に深く根づき、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)が再び甦っていく時、農山漁村の過疎・高齢化と平野部の都市過密は同時に解消され、やがて、国土全体にバランスのとれた自然循環型共生の地域社会が構築されていくことであろう。

 まさにこうした革新的「地域生態学」の理念とその方法を基軸とする、私たち民衆自らの創意による新たな生命系の未来社会構想のもとに、日本国憲法第九条の条文に則して、正々堂々と軍事費をはじめ無駄な巨大事業費の削減を要求し、税・財政のあり方を根本から変え、住民がもっとも必要としている育児・教育・医療・介護・年金などの社会保障や、特に若年層の雇用対策、そして文化・芸術・スポーツの振興に振り向けていく。

 そして、「菜園家族」基調の素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への壮大な長期展望のもとに、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)を具体的に想定し、大地に根ざした自給自足度の高い自律的な農的生活システム、つまり「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた家族づくり、地域づくりの人的・物的基盤の整備・育成のための、いわば「菜園家族インフラ」の財源にまわしていく。

 こうした具体的提案をまさにこの流域地域圏(エリア)から主体的に、大胆かつ積極的に提示しつつ、この国の未来のあるべき姿を思い描き、希望の明日に向かって進んでいくのである。
 本連載の第6章1節の冒頭で触れたように、1945年の終戦直後の一時期、新しい憲法の理念のもと、非戦・平和の民主的文化国の建設をめざして、全国津々浦々に湧き起こった農民・都市労働者・学生・知識層による草の根の国民的運動の息吹は、こうして21世紀の今、再び新たな姿に変えて甦ってくるにちがいない。

詳しくは、本連載の第8章「『匠商家族』と地方中核都市の形成 ―都市と農村の共進化―」で後述。

6.草の根民主主義熟成の土壌、地域協同組織体「なりわいとも」の形成過程
  ―革新的「地域生態学」的アプローチ―

 21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道としての「菜園家族」社会構想の核心は、週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)による「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の生成であり、その展開・円熟にある。
 基礎的にもっとも大切なことは、この社会基盤に「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を据え、拡充していくことであるが、その際不可欠なのは、既に述べたように、「菜園家族」育成の場としての森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生である。

図6-2-2「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」 流域地域圏
図6-2-2「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」 流域地域圏

 「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけない。数家族、あるいは十数家族が集落を形成し、新しい地域共同体を徐々に築きあげていくことになるが、こうした“菜園家族群落” も、農業を基盤にする限り、“森”と“水”と“野”を結ぶリンケージ、つまり森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の中ではじめて生かされてくる。
 ここでは、「菜園家族」を基礎単位に形成される地域共同の特質について、「菜園家族」のゆりかごともいうべき森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の形成過程との関連で、革新的「地域生態学」の視点からさらに詳しく見ていくことにする。

 「菜園家族」は、家事や生産などさまざまな「なりわい」(生業)での協同・相互扶助の必要から、自ずからその上位の次元に、自己の力量不足を補完するための協同組織を形成する。こうした地域協同組織体を「なりわいとも」(アソシエーション)と呼ぶことにする。
 この「なりわいとも」は、旧ソ連のコルホーズ(農業の大規模集団化経営)やモンゴルにおける遊牧の集団化経営ネグデルなどに見られるような、農地や家畜など主要な生産手段の共同所有のもとで、工業の論理を短絡的に取り入れ、労働の徹底した分業化と協業によって生産の効率化をはかるために上から組織された共同管理・共同経営体ではない。
 あくまでも自立した農的家族小経営、つまり「菜園家族」が基礎単位になり、その家族が生産や流通、そして日々の生活、すなわち「なりわい」の上で自主的、主体的に相互に協力し合う、極めて人間的な“共感能力”豊かな「とも」(仲間)を想定するものである。

図6-2-3 森と海を結ぶ流域地域圏の団粒構造
図6-2-3 森と海を結ぶ流域地域圏の団粒構造

 この人間味溢れる「なりわいとも」は、集落(近世の“村”の系譜を引く)を基盤に形成される「村なりわいとも」が基本となるものの、それ単独で存在するのではなく、地域の基礎的単位である一次元の「菜園家族」にはじまり、二次元の「くみなりわいとも」(隣保レベル)、三次元の「村なりわいとも」(集落レベル)、四次元の「町なりわいとも」(市町村レベル)、さらには五次元の「郡なりわいとも」(森と海を結ぶ流域地域圏エリア、つまり郡レベル)、六次元の「くになりわいとも」(県レベル)といった具合に、多次元にわたる多重・重層的な地域構造が形づくられていく。それはあたかも土壌学で言うところの滋味豊かなふかふかとした“土の団粒構造”に酷似している。

本連載の第9章「『菜園家族』社会構想の現実世界への具体的アプローチ ―実現可能性を探る―」の1節「地域再生の究極の鍵」で後述。

地域団粒構造の各レベルに現れる「なりわいとも」(アソシエーション)
 さて、この地域団粒構造の各レベルに現れる「なりわいとも」のそれぞれについて、もう少し具体的に見ていこう。
 地域団粒構造の一次元に現れる「菜園家族」は、作物や家畜など生き物を相手に仕事をしている。一日でも家を空けるわけにはいかない。夫婦や子ども、祖父母の三世代全員で助け合い、補い合うのが前提であるが、それでも人手が足りない場合、特に週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとでの“従来型”の出勤の日や、あるいは病気の時などは、隣近所の家族からの支援がなければ成り立たない。
 やむなく夫婦ともに出勤したり、外出したりしなければならない留守の日には、近くの3家族ないしは5家族が交代で作物や家畜の世話の手助けをすることになる。これが、二次元に現れる「くみなりわいとも」の果たす基本的な役割になる。

黄色・黄緑・白の花々のタペストリー

 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとでは、週のうち(5-α)日は従来型のサラリーマンとしての勤務に就く必要から、「くみなりわいとも」には、近世の農民家族間にはなかった「菜園家族」独自の新たな形態の“協同性”の発展が期待される。もちろん、お互いに農業を営んでいることから、“森”と“水”と“野”のリンケージを維持・管理するために、近世農民的な“協同性”が必要不可欠であることに変わりはない。
 したがって「くみなりわいとも」には、近世の“協同性”の基礎の上に、「菜園家族」という「労」「農」人格一体融合の二重化された性格から生まれる独自の近代的な“協同性”が加味され、新たな“協同性”の発展が見られるはずである。「くみなりわいとも」は、このような“協同性”の発展を基礎にした3~5の「菜園家族」から成る、新しいタイプの隣保協同体なのである。

 この隣保協同体で解決できない課題は、「くみなりわいとも」が数くみ集まってできるその上位の三次元の協同組織体「村なりわいとも」で取り組まれる。
 集落レベルで成立するこの「村なりわいとも」は、「菜園家族」という「労」「農」人格一体融合の独特の家族小経営をその基盤に据えていることから、基本的には近世の“村”の系譜を引き継ぎ、その“協同性”の内実を幾分なりとも継承しつつも、同時に、イギリスにおける近代資本主義の勃興期に資本主義の横暴から自己を防衛する組織体として現れた近代の協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の性格をも併せ持つ、新しいタイプの地域協同の組織体として登場する。

 このように、近世の地域社会の系譜を引く協同体的組織を基盤に、地域団粒構造のさまざまなレベルに前近代と近代の融合によって新たに形成される「菜園家族」社会構想独自の協同組織体を、ここでは一般的に「なりわいとも」(アソシエーション)と総称しておきたい。

「村なりわいとも」の特質と協同の喜び
 さて、三次元の「村なりわいとも」が成立する地理的範囲となる集落がもつロケーションは、自然的・農的立地条件としても、人間が快適に暮らす居住空間としての場としても、長い時代を経て選(え)りすぐられてきた優れたものを備えている。おおむね今日の行政区画上の大字(おおあざ)あるいは地区に相当するこうした農村集落は、少なくとも前近代の循環型社会の円熟期とも言われる近世江戸中期にまで遡ることができる“村”の伝統を受け継ぐものである。

水を張った田植え前の田んぼ・集落・新緑の山(2024.5.2多賀町大岡)
琵琶湖に注ぐ犬上川・芹川中流域の農村集落(滋賀県犬上郡多賀町)

 この伝統的“村”は、戦後の高度経済成長期を経て過疎高齢化が急速に進行し、今や限界集落と化し、深刻な問題を抱えてはいるが、それでも何とか生き延びて今日にその姿をとどめている。
 「村なりわいとも」は、こうした近世の系譜を引く伝統的な集落を基盤に甦ることができるならば、「菜園家族」社会構想が自然循環型共生社会をめざす以上、きわめて理に適ったものであり、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の地域構造の様々な次元に形成される「なりわいとも」の中でも、基軸となるべき協同組織体として特別な意義を有するものになると言ってもいい。

 「村なりわいとも」を構成する家族数は、一般に30~50家族、多くて100家族程度であるから、合議制に基づく全構成員参加の運営が肝心である。自分たちの郷土を点検し、調査し、立案し、未来への夢を描く。そしてみんなで共に楽しみながら実践する。時には集まって会食を楽しみながら対話を重ねる。こうした日常の繰り返しの中から、ことは動き出すのである。

 「村なりわいとも」の基盤となる集落が、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の奥山の山間地にあるのか、山麓に広がる農村地帯にあるのか、あるいは海岸線に近い平野部にあるのか。それぞれの地理的、自然的条件によって、「菜園家族」とその「村なりわいとも」の活動のあり方は、だいぶ違ってくる。
 「森の民」であり、森の「村なりわいとも」であれば、放置され荒廃しきった森林をどのように再生し、どのように「森の菜園家族」を確立していくのか。そして、過疎化と高齢化の極限状態に放置された山村集落をどのように甦らせるのか、森の「村なりわいとも」の直面する課題は実に大きい。廃校になった分校を再興し、子どもたちの教育と郷土の文化発信の拠点に育てることも、老若男女を問わず集落ぐるみで取り組める楽しい活動となるであろう。

写真3-4 裏山から採ってきた自然薯でとろろ汁を作る富枝おばあさん(2001年晩秋)
晩秋、裏山から採ってきた自然薯でとろろ汁を作る(鈴鹿山中・大君ヶ畑)
写真3-5 山と畑の恵みを生かした富枝おばあさんの手料理
山と畑の恵みを生かした富枝おばあさんの手料理
(自然薯のとろろ汁、ゴボウの黒ゴマあえ、ホウレンソウのおひたし、ミョウガの粕漬け、カブラの漬けもの、キュウリの糠漬)

 また、平野部農村の「野の民」であり、野の「村なりわいとも」であれば、農業後継者不足や耕作放棄地などの問題をどう解決するかが差し迫った課題になる。
 「海の民」であり、海の「村なりわいとも」であれば、沿岸の自然環境を守りながら風土に適した漁業を育て、田畑や果樹園などもうまく組み合わせた暮らしを確立していかなければならない。
 若い後継者が根づき、多世代がともに暮らす家族と地域が甦れば、特に近年、深刻な問題となっている自然災害への対策にも、展望が開けてくるにちがいない。
 このように森から海に至る流域に沿った地域地域において、それぞれ特色のある「菜園家族」を、そして「村なりわいとも」を築き、取り組んでいくことになるであろう。

一次元から六次元への多重・重層的地域団粒構造の展開と熟成
 それぞれの地形や自然の特性に依拠し、土地土地の社会や歴史や文化を背景にして、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内には、集落(近世の“村”の系譜を引く)を基盤に、おそらく100程度の新しい「村なりわいとも」が誕生するであろう。
 これらの「村なりわいとも」は、それぞれ個性豊かな「森」の幸や、「野」の幸や、「川・海」の幸を産み出す。「村なりわいとも」の構成家族全体で、または数家族がグループで小さな工房・工場を設営し、こうした自然の幸を加工することもあるだろう。
 「村なりわいとも」が流通の媒体となって、モノやヒトが森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内を循環し、お互いに不足するものを補完し合う。こうした交流によって、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)としてのまとまりある一体感が次第に育まれていく。

写真3-8 秋の木の実
奥山の集落・大君ヶ畑の秋の味覚
(アケビ、クリ、クルミ、カヤの実)

 森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の中核都市では、地場産業や商店街が活気を取り戻し、「匠商(しょうしょう)家族のなりわいとも」 や住民の地域コミュニティも息づいてくる。高度経済成長期に急速に肥大化した巨大都市の機能は、やがて地方へ分割・分散され、活気を取り戻した地方の中小都市を核に、美しい田園風景が流域地域圏(エリア)に繰り広げられていく。
 今、衰退の一途を辿る流域地域圏(エリア)の中核都市は甦り、地方経済の結節点としての機能を果たしながら、文化・芸術・学問・スポーツ・娯楽などをもとめて人々が集う交流の広場として、精神性豊かなゆとりのある文化都市に次第に変貌していくにちがいない。

 このようにしてつくりだされた物的・精神的土壌の上に、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の「なりわいとも」、つまり「郡なりわいとも」が形成されることになる。地域の事情によっては、今日の市町村の地理的範囲に、「郡なりわいとも」の下位に位置する「町なりわいとも」が形成される場合もある。
 そして、下から積み上げられてきた住民や市民の力量によって、さらに県全域を範囲に「郡なりわいとも」の連合体としての六次元の「くになりわいとも」(県レベル)が、必要に応じて形成されるであろう。この場合の「くに」とは、古代の風土記や江戸時代の旧国名にあるような「国」、例えば近江国(おうみのくに)、常陸国(ひたちのくに)等々の「国」から名づけたものであり、今日の場合、県に相当する地理的範囲を想定している。

 このように見てくると、来たるべき自然循環型共生社会としての広域地域圏(県)内には、地域の基礎的単位である「菜園家族」からはじまり「くになりわいとも」(県レベル)に至る、一次元から六次元までの多重・重層的な地域団粒構造が形成されていくことになる。
 単独で孤立しては自己を十分に維持し、生かすことができないそれぞれの次元の「なりわいとも」が、より有効な協同の関係を求めて、地域団粒構造のそれぞれのレベルのより上位の次元の「なりわいとも」と、生産活動や日常の暮らしにおいて必要に応じて自由自在に連携することになる。
 こうして、自己の弱点や力量不足を補完する、優れた多重・重層的な地域団粒構造のシステムが次第に形成、熟成されていくことになるであろう。

図6-2-4 土壌の単粒構造と団粒構造
図6-2-4 土壌の単粒構造と団粒構造

 団粒構造とは、隙間が多く通気性・保水性に富んだ、作物栽培に最も適したふかふかの肥沃な「土」を指す土壌学上の用語である。このような「土」は、微生物が多く繁殖し、堆肥などの有機物もよく分解され、養分の面でも、単粒構造のさらさらとした砂地やゲル状の粘土質の土とは比較にならないほど優れた特質を備えている。
 多次元にわたる重層的な団粒構造の「土」は、微生物からミミズに至る大小さまざまな生き物にとって、実に快適ないのちの場となっている。それぞれが相互に有機的に作用し合い、自立した個体がそれぞれ自己の個性にふさわしい生き方をすることによって、結果的には他者をも同時に助け、自己をも生かしている、そんな共生の世界なのである。

 一次元の「菜園家族」から六次元の「くになりわいとも」(県)に至る各次元に位置するそれぞれ次元の異なる「団粒」が、個々に独自の特色ある個性豊かな活動を展開することによって、結果的には総体として森と海を結ぶ流域地域圏エリア(郡)や広域地域圏(県)は、ふかふかとした滋味豊かな「自立と共生」の多重・重層的な地域団粒構造の「土」に、長い歳月をかけて熟成されていく。
 地域の形成・発展とは、上から「指揮・統制・支配」されてなされるものではなく、あくまでも底辺から自然の摂理、つまり「適応・調整」の原理(=「自己組織化」)に適った仕組みの中ではじめて保障されるのではないだろうか。まさにこの地域団粒構造は、草の根の民主主義思想形成の何ものにも代え難い優れた土壌にもなっているのである。

花々(黄・黄緑・オレンジ)とチョウチョ

 5年、10年、あるいは30年、50年以上の実に長期にわたる、本当の意味での民衆主体のこうした熟成のプロセスなくしては、「民主的な地方自治体」も、それを基盤に成立する一国の「民主的な政府」も、名ばかりの内実を伴わない絵に描いた餅に終わらざるをえないであろう。私たちは、目先にのみとらわれ一喜一憂することなく、こうした遠大な展望のもとに今、何からはじめ、何を成すべきかを真剣に考えなければならない時点に立たされている。

 この「なりわいとも」を基盤にした地域社会が現実に誕生し、成熟していくことができたとすれば、それは、世界史上画期的な出来事と言わなければならない。
 19世紀に世界史上はじめてイギリスにおいて協同組合(コープラティブ・ソサエティ)が出現しながらも、その後、世界各国の資本主義社会内部においてこの協同組合(コープラティブ・ソサエティ)は十全に発展し、開花することができなかった。

 21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道である「菜園家族」社会構想のもと、地域社会の基礎単位に、生産手段と現代賃金労働者(サラリーマン)との「再結合」による「労」「農」人格一体融合の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を導入することによって、この協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の発展を阻害してきた要因を克服し、さらには森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)を滋味豊かで多重・重層的な地域団粒構造に築きあげることができたとするならば、それは、時代を画する人類の素晴らしい成果であると言わなければならない。

 新たに形成されるこの新しいタイプの「なりわいとも」(アソシエーション)は、イギリス産業革命以来、今日に至るまで一貫して歪曲と変質を余儀なくされてきた地域の構造を根本から変え、やがて「菜園家族」を基調とする素朴で精神性豊かな、いのち輝く自然循環型共生社会へと導いていく決定的に重要な槓杆としての役割を果たしていくにちがいない。

本連載の第8章「『匠商家族』と地方中核都市の形成 ―都市と農村の共進化―」で後述。

「いのち輝く共生の大地」第6章(その2)の引用・参考文献
柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫、1993年
永原慶二『日本封建社会論』東京大学出版会、1955年
松好貞夫『村の記録』岩波新書、1956年
蔦谷栄一『農的社会をひらく』創森社、2016年
小農学会 編著、萬田正治・山下惣一 監修『新しい小農 ~その歩み・営み・強み~』創森社、2019年
石井圭一「フランス農村にみる零細コミューンの存立とその仕組み」『農林水産政策研究所レビュー』11号、2004年

       ――― ◇ ◇ ―――

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2024年11月8日
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