長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」プロローグ(その1)
長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―
プロローグ (その1)
―身近な過去を振り返り、はるか彼方の「未来」を考える―
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長編連載「いのち輝く共生の大地」
プロローグ(その1)
(PDF:484KB、A4用紙7枚分)
意志あるかのように人間どもの隙を突いてきた新型コロナウイルス
1990年代初頭、ソ連社会主義体制の崩壊を境に、第二次大戦後の世界を規定してきた米ソ二大陣営の対立による冷戦構造が消滅し、アメリカ単独覇権体制が成立することになる。
しかしそれも束の間、アメリカ超大国の相対的衰退傾向の中、その弛緩に乗ずるかのように、西欧諸国、ロシアといった旧来の伝統的大国に加え、中国など新興大国が入り乱れる地球規模での新たな多元的覇権抗争の時代が幕を開けた。
今や世界は憎しみと暴力の坩堝(るつぼ)と化し、報復の連鎖はとどまることを知らない。
資本は今なお飽くなき自己増殖運動を繰り返しながら、新たな市場を求めて世界を蚕食し、ますます巨大化への道を突き進んでいる。
20世紀70年代に入ると、資本の古典的とも言うべき増殖手法は、利殖家にとっては甚だ迂遠で非効率的と看做され、IT先端技術の発達とも相俟って、手っ取り早くしかも瞬時に、マネーが巨額のマネーを生み出す新たな回路が考案・開発されていく。
そして今日、いよいよ人間を大地から引き離し、虚構と欺瞞、人間欲望の極限の世界にとことん追い遣る「経済の金融化」とも言うべき新たな恐るべき時代に突入したのである。
こうして巨万の富を加速的に蓄積した現代寡頭巨大金融資本は、世界を席捲し、これまでには見られなかった規模で実体経済を攪乱する。やがて世界の圧倒的多数を占める民衆の生活基盤、つまり人間にとって根源的とも言うべき「家族」と「地域」、暮らしと労働の場を根こそぎ破壊していく。
この社会の不条理に民衆の不満と怒りは募り、紛争の火種となって世界各地に拡散していく。決死の覚悟で蜂起した民衆の局地的紛争と戦争は、今や同時多発的に世界各地に頻発し、常態化する。
超大国はむやみやたらに戦争の危機を煽り、不都合な国や集団に対しては敵意をあらわにする。「仲間」と看做す国と徒党を組み、経済制裁だ、はたまた武力制裁だなどと言って懲らしめる。
しかし、どんなにもっともらしく大義名分を並べ立てようと、その言葉の背後には巨大世界市場、そして石油・天然ガスなど化石燃料・鉱物資源などをめぐる欲望と利権が渦巻いている。「自由と民主主義の価値観を共有する」と言われているどの国も、またそうでないとされている国も、その支配層はいずれもこうした欲望と利権の化身そのものなのだ。
だから、国際紛争は解決されるどころか深い泥沼に陥り、戦争は長期化する。このままでは紛争と戦争は絶えることがない。世界は今や各地に紛争の火種が播き散らされ、世界大戦への一触即発の危険に晒されている。
こうした火種は鎮まるどころか、ますます勢いを増し、同時多発的様相すら呈し、慢性化していく。
このことは、1970年代に端を発した経済の極端な金融化、さらには1990年代初頭のソ連崩壊によって、旧社会主義諸国をも巻き込む市場原理至上主義の新自由主義的経済が生み出した極端な貧富の格差が、全世界に加速的に拡大していることと決して無縁ではない。
人々の不満や怒りは頂点に達し、それが際立った負の現象として表面に露呈したものと見るべきであろう。いよいよ資本主義は行き詰まり、末期的症状をいっそうあらわにしている。
為政者は自らの社会の深層に潜む根源的な原因には目を伏せ、民衆の不満を外にそらそうとする。絶えず国外に仮想敵をつくり、大国自身が自らつくり出した紛争に性懲りもなく関与していく。
その内実は、相変わらず「仲間」なるものと徒党を組み、経済封鎖だの、武力行使、はたまたあからさまに“敵基地攻撃”だのと、他者に壊滅的な打撃を与えること、つまり「暴力」によって対処しようとする実に浅はかな愚行なのだ。もはやそれ以外になすすべを知らない。
混迷はますます深まり、紛争は激化する。それをまた口実に、民衆の血税はとことん吸い上げられ、科学技術の粋を尽くした最新鋭の軍備が増強される。際限なき暴力の連鎖。
このどうしようもない現実こそが、資本主義が陥った末期的事態ではないのか。
まさにこうした中、新型コロナウイルスはあたかも意志あるかのように嘲笑い、人間どもの隙を突いて襲いかかってきた。グローバル化と都市の巨大化・過密化が進む今、ウイルスは瞬く間に地球規模に拡散。パンデミックの猛威は、世界を一気に震撼させた。私たちの社会はいかにも脆弱であり、その根源的矛盾の罠にあっさり取り籠められ、一歩も身動きできない事態に一瞬のうちに陥ってしまったのだ。
巨大都市集中の歪(いびつ)な国土構造、国内産業を空洞化させ、グローバルなサプライチェーンに依存する生産体系。今さらのように、その弊害の恐ろしさに気づかされた。
この際、ごまかすことなく、わが身を振り返り、明日の社会のありようそのものをいよいよ真剣に考えなければならない時に来ている。
新型コロナウイルスと気候変動の両者を全一体的(ホリスティック)に捉える
この新・長編連載は、米中二超大国の対立が先鋭化し、北朝鮮による核・ミサイル開発をめぐり、東アジアと世界に緊張が高まる中で執筆した拙著『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要(かなめ)―』(本の泉社、2019年)、および『気候変動とパンデミックの時代 生命系の未来社会論』(御茶の水書房、2021年)をベースに、その後の新たな事態を組み込みながらまとめ直したものである。
ベースとなったこれら旧稿は、ますます熾烈化する地球規模での新たな多元的覇権争奪や気候変動問題を念頭に、社会システムそのものの変革の必要性と展望を論ずるものであったが、それは、奇しくも新型コロナ災禍やウクライナ戦争を乗り越える新しい社会のあり方と、そこへ到達するプロセスおよび現実的、具体的な方法にも重なってくる。
新型コロナウイルスの問題も、気候変動の問題も、自然と人間社会の生成・進化の長い歴史との切っても切れない宿命的とも言える深い関わりの中で、回復不能なまでに生態系を蝕むほどの飽くなき欲望に基づく近年の人間の経済活動によって引き起こされたものである。
一方のウイルスは、ヒトの細胞内に執拗に侵入・寄生し増殖するという経路の違いはあるが、両者とも自然界の深奥から発し人間一人ひとりに襲いかかり、ついには人間の活動や移動を抑え込み、究極において人間社会そのものをも根底から覆す点で大がかりであり、その大本(おおもと)をただせば、結局、新型コロナウイルスの問題も、気候変動の問題も、本質的には同一のことから由来しているのだ。
同時に、地球温暖化による気候変動が感染症のリスクをさらに増大させるという連関性が科学者から指摘されている。しかもウイルスとヒトの進化の歴史は、時をはるか遠く遡れば、遺伝子レベルにおいて深く関わっていたとも言われており、生命進化の不可思議、人間とウイルスの因縁の深さをあらためて思い知らされるのである。
私たちは今、気候変動、パンデミック、ウクライナ戦争等々と、現実社会に次々と露わになってくる新たな事態をふまえ、これらの問題を個々別々にではなく、統一的、全一体的(ホリスティック)なものとして捉え、この世界的複合危機を乗り越えて、どのような未来社会をめざしていくべきかを真剣に考える時に来ているのではないか。
新型コロナウイルスの正体はまだまだ不明の部分が多く、世界各地で次々と変異種が確認され、パンデミックの終息には長い期間を要すると懸念されてきた。渦中にあっても、為政者サイドからは、「感染拡大防止と社会経済活動の両立」なるものが盛んに叫ばれた。それが一体、どんな社会に向かっていくのか、まったく不問に付したままでの喧伝であった。
戦後長きにわたって今日まで固執してきた社会経済政策そのものの検証と反省もないまま、為政者自ら「国難」とも称する時代のこの大きな転換期にあっても、「Go To キャンペーン」とか、「ワーケーション」とか、「テレワーク」(聞こえはいいが、本質的にはかつての悪名高い労働の成果主義、ホワイトカラー・エグゼンプションの焼き直し)などと、装いも新たにコロナ後の「新しい生活様式」と銘打って、根源的な問題から国民の目をそらし、自然界の原初的生命体ウイルスから人類に発せられた警告とも言うべきこの危機の重大な意味を深く受け止め、考えようともせずに、通り過ぎていった。結局、国民を欺き、もと来た道に舞い戻ると言うのである。
ウイルスが猛威をふるうさなか、2020年9月に強行された自民党総裁選。安倍政権の継承を公言して憚らない菅義偉新政権の成立。国民の深刻な困窮と将来不安を尻目に、「自助・共助・公助、そして絆」などと自己責任論を吹聴した旧態依然たるその言動と思考そのものに、むしろ強い危機感を覚える。
新型コロナウイルスがもたらした社会経済的衝撃、その真相と本質
ここでは、経済地理学・政治経済学者デヴィッド・ハーヴェイが2020年3月に発表した論考 “Anti-Capitalist Politics in the Time of COVID-19″(「COVID―19時代の反キャピタリズム運動」、翻訳・解説 大屋定晴、『世界』2020年6月号、岩波書店)※ で指摘されている大切な論点に着目しつつ、日本の現実に敷衍して若干述べておきたいと思う。
貨幣価値の流れが生産、消費、分配、そして再投資を経て、利潤を求めるという終わりのない資本蓄積の拡大、成長の螺旋円環運動。注目すべきは、この資本主義経済の宿命的とも言える基本モデルにおいて、2007~2008年以後に急拡大した消費様式の変化である。
この消費様式は、消費の回転期間をできる限りゼロに近づけることで指数関数的に増大する資本が、その結果として急増する価値を、可能な限り短期の回転期間の消費形態、つまり刹那的「体験型」消費形態によって吸収し、その矛盾を解消するものになっている。
この刹那的「体験型」消費形態は、都市への人口集中、格差の拡大、際限のないグローバル化にいっそうの拍車をかけていく。これら3つのファクターは、いずれも相互に作用しつつ、一体となって気候変動と新型コロナウイルス・パンデミックのリスクを助長する、決定的で客観的な条件になっていること。そして今後もそうなることをしっかり記憶にとどめ、おさえておかなければならない。
このことをもう少し具体的に見ていきたいと思う。
2010年から2018年にかけて、世界の国際観光客数は8億人から14億人に跳ね上がったと言われている。近年わが国に見られる国際観光客数の急速な増加も、こうした資本の要求に唯々諾々と応える経済成長戦略、つまり「観光立国推進基本法」の制定(2006年)やビザ発給の要件緩和(2013年)などの一連の政策によってもたらされたものであった。
このような刹那的「体験型」消費形態にともなって、航空会社、ホテル、レストラン、テーマパーク、そして文化イベント、カジノ、パチンコ、プロ野球やプロサッカー、プロバスケットボール等々スポーツに至るまで、巨大なインフラ投資が必要とされた。
こうした状況下でのコロナ災禍である。航空会社は破産に瀕し、ホテルはガラ空きとなり、特に中小・零細接客業での大量失業が進行していった。外食は避けられ、飲食店やレストランやバーは閉鎖された。不安定な職に従事してきた非正規労働者は、真っ先に解雇され、路頭に迷っている。
文化的祭典、プロ野球やプロサッカーやプロバスケットボールなどの試合は中止に追い込まれ、果てには東京オリンピック・パラリンピックは、委員会指導部への国民の不満や非難が高まる中、無観客にしてでも開催を強行する始末であった。
ライブやコンサートなどあらゆるイベントも中止され、マスプロ化した大学は閉鎖された。現代資本主義の最先端を行く刹那的「体験型」消費形態は、機能不全に陥っていったのである。
現代資本主義の7割から8割をも牽引しているのは、消費であると言われている。過去40年のあいだに、消費者の「信頼」と心情は有効需要を動員するカギとなり、マスメディアもこれに一役も二役も買って出て、資本はますます需要主導型の経済になっている。
だが、新型コロナウイルス感染症が引き金となって、終わりのない資本蓄積のこの螺旋円環運動は、今や内に向かって倒壊しはじめ、最富裕国のアメリカにおいて、そしてわが国やその他の先進資本主義国でも、優勢と言われてきたこの刹那的「体験型」消費形態の核心で、大崩壊が起きたのである。
何よりもむごいことに、この崩壊現象は、人口の圧倒的多数を占める小さき弱き者たち、そして非正規不安定労働者を振り落としながら、世界の一地域からあらゆる地域へと広がっていった。
まさにこの事態は、1990年代初頭のソ連崩壊後、今日に至る30年間、新自由主義の競争原理至上主義、自己責任論が幅を利かせ、社会保障制度が切り捨てられてきた格差社会の上に襲いかかり、まともな医療さえ受けることのできない小さき弱き人々を感染による命の危険にもろに晒したのである。
※ 原典は、Harvey,David “Anti-Capitalist Politics in the Time of COVID-19”,Jacobin,3 March 2020,
https://jacobinmag.com/2020/03/david-harvey-coronavirus-political-economy-disruptions
突きつけられた近代特有の人間の社会的生存形態「賃金労働者」の脆弱性
世界史的には18世紀イギリス産業革命以来、長きにわたって存続してきた賃金労働者、つまり大地から引き離され、生きるに必要な最低限の生産手段をも失い、根なし草同然となった不安定きわまりないこの近代特有の人間の社会的生存形態を、もはやこのまま放置しておくわけにはいかなくなってきたのである。
この近代特有の人間の社会的生存形態の脆弱性、非人道性は、このたびのパンデミックによって白日の下にさらけ出された。この人間の社会的生存形態、つまり現代賃金労働者そのものを将来に向かってどう変革していくのか、このことが今、私たちに突きつけられた、避けてはならない喫緊の核心的課題になってきたのである。
私たちは、2000年以来、21世紀にふさわしい新たな社会のあり方を模索する中で、「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた新しい人間の社会的生存形態の創出こそが、この難題を解く決定的で最重要な鍵になるものと考え、それによって新たに成立する「菜園家族」社会構想を21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道として提起してきた。
この間、数次にわたって探究を続けてきたこれまでの拙著をベースに、今日の新たな状況下で継承発展を試みた本連載でも、引き続きこの人間の社会的生存形態の根源的変革にこだわり、それを基軸に今私たちが直面している社会の危機的事態を解決しようとしている所以も、まさにこのことにある。
パンデミックの脅威のなか、小・中・高のみならず大学においても、公教育は未曾有の窮地に立たされてきた。労働人口の40%を超える非正規労働者は、即刻、職を失い、路頭に迷っている。中小零細企業の倒産は相次ぎ、戦後築いてきた根なし草同然の人間の社会的生存形態、現代賃金労働者を基盤に据えた市場原理至上主義「拡大経済」社会は、その脆弱性を一気に露呈したのである。
人々は今この惨禍に喘ぎながらも、時が経つにつれて、街の賑わいが日常に戻り、何もなかったかのように、素知らぬ顔でまた同じ道を歩きはじめるのであろうか。2011年3・11東日本大震災・福島原発事故後もそうであったように、新型コロナ後も根源的変革を避けて、また同じことを繰り返すのであろうか。
コロナ災禍によって窮地に立たされている今だからこそ、長期的視点に立って、社会のあり方そのものを根本からじっくり考えなければならない時に来ているのではないか。わが身とその足元をごまかすことなく素直に見つめ直し、そもそも人間とは、「家族」とは、「地域」とは、教育とは、私たちの社会とは一体何だったのか、そしてコロナ後の新しい社会は、果たしてどうあるべきなのかを一人ひとりが根源的に考える機会になればと願う。
◆「いのち輝く共生の大地」プロローグ(その1)の引用・参考文献◆
アルフレッド・W・クロスビー 著、西村秀一 訳・解説『史上最悪のインフルエンザ ―忘れられたパンデミック―』みすず書房、2004年
山本太郎『感染症と文明 ―共生への道』岩波新書、2011年
中屋敷均『ウイルスは生きている』講談社現代新書、2016年
山内一也『ウイルスの意味論 ―生命の定義を超えた存在―』みすず書房、2018年
山内一也『ウイルスの世紀 ―なぜ繰り返し出現するのか―』みすず書房、2020年
山内一也『新版 ウイルスと人間』岩波科学ライブラリー、2020年
デヴィッド・ハーヴェイ 著、翻訳・解説 大屋定晴「COVID―19時代の反キャピタリズム運動」『世界』2020年6月号、「特集1 生存のために ―コロナ禍のもとの生活と生命」、岩波書店
原典は、Harvey,David “Anti-Capitalist Politics in the Time of COVID-19”,Jacobin,3 March 2020,
https://jacobinmag.com/2020/03/david-harvey-coronavirus-political-economy-disruptions
小貫雅男・伊藤恵子『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要(かなめ)―』本の泉社、2019年
小貫雅男・伊藤恵子『気候変動とパンデミックの時代 生命系の未来社会論 ―抗市場免疫の「菜園家族」が近代を根底から覆す―』御茶の水書房、2021年
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2024年9月1日
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