最新刊『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―

海図なき時代に贈るこの一冊

人類の目指す終点は
遙かに遠い未来である
それでも、それをどう描くかによって
明日からの生き方は決まってくる

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題名 グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―
著者 小貫雅男・伊藤恵子
出版社 御茶の水書房
発行年月 2013年6月
判型・ページ A5判、369ページ
定価 本体3,800円+税
ISBN 9784275010353

 21世紀人々は大地への回帰と人間復活の高度自然社会への壮大な道を歩み始める。

 週休五日制の「菜園家族」型ワークシェアリングのもと、家族を、そして地域を基盤に築く市場原理に抗する免疫的自律世界、大地に根ざした精神性豊かな生活世界の創造。

本書に込められたメッセージ
―今こそパラダイムの転換を―

底知れぬ
深い闇に沈む
閉塞の時代
私たちはあまりにも目先の瑣事
その場凌ぎの処方箋に惑わされ
そこから一歩も抜け出せずにいる。

今、私たちにもっとも欠けているものは
元々あったはずの人間の素朴さであり
確かな意志をもって
遠い不確かな未来へ挑む
精神なのではないか。

騙されても騙されても・・・

 騙されても騙されても、それでもまた繰り返し騙される。人々はそんな不甲斐なさに打ち拉がれ、どうしようもない無力感と政治不信に陥っていく。その一方で、「アベノミクス」なるものの実体のない束の間のつくられた円安・株高に淡い期待を寄せ、浮き足立ち酔い痴れる。
 さんざんそうさせられた挙句に、またもや「選挙」だと言うのである。私たちは、何とも不条理で不気味な時代に生きている。

忌まわしい時代に引きずり込まれていく

かつてもそうだったし
いつの世になっても
そうなのであろうか。

3年も経たないうちに
あの過酷事故を
すっかり忘れたかのように
金儲けのために
原発を輸出し
原発再稼働をおしすすめ
他方では抑止力のためだと
なんやかやと屁理屈をこね回し
時代の新たな装いを纏って
お国のため
自衛のため
諸国民の共栄のためにと
美辞麗句を並べ立て
日本国憲法の精神を踏みにじり
偏狭なナショナリズムを煽り
かつての富国強兵路線へと
急転回を遂げていく。

密かに財界や「死の商人」の片棒を担ぐ
お偉い政治家の殿方よ
本当に心底から
そう思っておられるのであれば
それはそれで
勝手に語るがいい。

しかし、このことだけは
しかと肝に銘じてほしい。

自らは戦場に行かず
身を投げ出す覚悟すらないのに
ご高邁な精神を満足させるために
人様を巻き添えにすることだけは
どうかやめてもらいたい。

大義のない
そんな嘘っぽい
卑小な思想は
誰だって
まっぴらごめんなのだ。

他国を敵視し、人々を煽り
「お国のために戦った兵隊さんよ、ありがとう」と
子供たちに唱歌をうたわせ
国民を戦場へと駆り立てた
あの熱狂の時代と
一体、本質的に
どこがどう違うのであろうか。

渦中にいる
小さき弱きものたちは
ずる賢い甘い言葉に惑わされ
気づかないとでも思っているのであろうか。

何とも忌まわしい時代に
ずるずる引きずり込まれていく。

この国の深刻きわまりない病弊を見る

 大胆な「金融緩和」、放漫な「財政出動」(防災に名を借りた大型公共事業の復活)、巨大企業主導の旧態依然たる輸出・外需依存の「成長戦略」。とうに使い古されたこの「三本の矢」で、相も変わらず経済成長を目指すという「アベノミクス」なるもの。

 戦後六十余年におよぶ付けとも言うべき日本社会の構造的破綻の根本原因にはまともに向き合おうともせずに、ただひたすら目先のデフレ・円高脱却、そして景気の回復をと、選挙目当てのその場凌ぎの対症療法を今なお性懲りもなく延々と繰り返す。むしろこのこと自体に、この国の政治と社会の深刻な病弊を見るのである。

今こそパラダイムの転換を

 資本主義経済固有の不確実性と投機性、底知れぬ不安定性。とりわけ人間の飽くなき欲望の究極の化身とも言うべき、今日の市場原理至上主義「拡大成長路線」の虚構性と欺瞞性。そして何よりも目に余る不公正と非人道性、その残虐性は、いずれ克服されなければならない運命にある。

 歴史の大きな流れの一大転換期にあって今まさに必要としているものは、その場凌ぎの処方箋などではない。社会のこの恐るべき構造的破綻の本当の原因がどこにあるのか、その根源的原因の究明と、それに基づく長期展望に立った社会経済構造の深部におよぶ変革に、誠実に挑戦することではないのか。

現代賃金労働者という人間の社会的生存形態

 大地から引き離され、根なし草同然となった現代賃金労働者という名の人間の社会的生存形態は、今ではすっかり常識となった。

 こうした中で、人間は自然からますます乖離し、自らがつくり出した社会の制御能力を喪失し、絶えず生活の不安に怯えている。高度に発達した科学技術によって固められた虚構の上に築かれた危うい巨大な社会システム。人間は、自然から遮断されたこのごく限られた、僅かばかりの狭隘できわめて人工的な空間に幽閉され、生来の野性を失い、精神の虚弱化と欲望の肥大化が進行していく。

 今あらためて大自然界の生成・進化の長い歴史のスパンの中に人類史を位置づけ、その中で、18世紀イギリス産業革命を起点とする近代を根本から捉え直し、未来社会を展望するよう迫られている。

近代を超克する21世紀の未来社会論の構築を

 大地への回帰。この素朴とも言うべき哲理こそが、行き場を失い混迷に陥った今日の社会を根本から建て直す指針となるのではないか。

 大地への回帰、これを空想に終わらせることなく、現実のものとするための大切な鍵は何か。本書では、近代のはじまりとともに生み出され、長きにわたって社会の基層を構成し、今ではすっかり常識となった賃金労働者という人間の社会的生存形態そのものに着目し、それ自身を根本的に捉え直すことによって、19世紀以来の未来社会論が今日まで不覚にも見過ごしてきた問題を浮き彫りにし、そこから社会構築の新たなる道を探ろうとしている。

 それは、近代の歴史過程で大地から引き離された家族に、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具など)を再び取り戻すこと、つまり現代賃金労働者と生産手段との「再結合」を果たすことである。これはすなわち、21世紀の新たなる人間の社会的生存形態の創出を意味している。これによって、相対的に自給自足度が高く、市場原理に抗する免疫力に優れた「菜園家族」が形成される。それはいまだかつて見ることのなかった、精神性豊かな、慈しみ深い、しかも大地に根ざして生きるおおらかな、素朴で繊細にして強靱な人間の誕生でもある。

足もとの暮らしの中から未来への芽を育む

 ガンジーはイギリス資本主義の植民地支配と闘う中で、真の独立・自治(スワラージ)は単なる権力の移譲ではなく、インド再生の鍵は農村にあるとし、個人の自立と民族の独立の象徴として紡ぎ車を選び、村落の手仕事の伝統をインド経済の基礎に据え、スワデーシ(地域経済)を復活させようとした。

 今こそこの深い思想の核心を「弱者」のみならず、むしろ先進資本主義国私たち自身の社会に創造的に生かす時に来ているのではないか。

 かつて人々は、現実社会の自らの生産と生活の足もとから未来へつながる小さな芽を慈しみ、一つ一つ育み、しかも自らのためには多くを望まず、ただひたすらその小さな可能性を社会の底から忍耐強く静かに積み上げてきた。人間は、このこと自体に生きがいと喜びを感じてきたのである。本来これこそが、生きるということではなかったのか。

 大地に生きる人間のこの素朴で楽天主義とも思える明るさの中に、明日への希望が見えてくる。これはまさに「静かなるレボリューション」の真髄にほかならない。

自由闊達な対話からはじまる草の根の本物の民主主義

 思えば、長きにわたって人々を愚弄してきた偽りの選挙制度のもとで、私たちは「選挙」だけに頼る「政治」にあまりにも安易に幻想を抱いてきたのではなかったのか。かくも歪められた「政治」のあり方を民主主義と思い込み、この両者を根本から履き違えてきたのではなかったのか。今こそ覚悟を決め、思考停止と「お任せ民主主義」から抜け出さなければならない時に来ている。

 自らの頭で自由に考え、他者を尊重し、ねばり強く対話を重ね、めざすべき21世紀の未来像を共有する。この長期にわたる苦難と試練のプロセスの中からこそ、自らの力量を涵養し、自らの手で、自らの未来を切り開くことができるのである。これこそが民主主義の真髄ではなかったのか。

 長きにわたる閉塞状況から忌まわしい反動の時代へとずるずると急傾斜していく中、それでも怒りを堪え、じっと耳を澄ませば、新しい時代への鼓動が聞こえてくる。たとえそれが幽かであっても、信じたいと思う。そして対話への期待も、その意義も、未来への光もそこに見出したいのである。

 草の根の本物の民主主義の復権、そして21世紀のあるべき未来像をもとめて止まないひたむきな対話の一角に、ささやかながらも本書が加わることができるならば、こんなうれしいことはない。

2014年4月
ホームページのリニューアルに際して

著者 小貫 雅男・伊藤 恵子

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目次
  • はしがき ― 解題にかえて (1)
    • プロローグ ― 東日本大震災から希望の明日へ (17)
    • あのときの衝撃を一時の「自粛」に終わらせてはならない (18)
    • 「原発安全神話」の上に築かれた危うい国 (22)
    • 誰のための復興構想なのか (23)
    • 続々と現れる復興への目論見 (26)
    • 復興構想私案の震源地はここにあり (29)
    • 財界の意を汲む復興構想の末路 (31)
    • 21世紀未来像の欠如と地域再生の混迷 ― 上からの「政策」を許す土壌 (36)
    • 新たな21世紀の未来社会論を求めて ― 本書の目的と構成 (38)
  • 序編 あらためて近代の淵源に立ち返って考える (43)

    • 今なぜ近代に遡るのか (44)
  • (1)19世紀イギリスにおける恐慌と新たな時代への胎動 (49)

    • 世界で初めての恐慌と悪循環 (49)
    • 人類始原の自然状態 (55)
    • 自然状態の解体とその論理 (59)
    • 新しい思想家・実践家の登場 (64)
    • ニューハーモニー実験の光と影 (73)
  • (2)19世紀、思想と理論の到達点 (77)

    • 資本主義の発展と新たな理論の登場 (77)
    • マルクスの経済学研究と『資本論』 (83)
    • 資本の論理と世界恐慌 (90)
    • 人類の歴史を貫く根源的思想 (95)
  • (3)19世紀に到達した未来社会論 (98)

    • マルクスの未来社会論 (98)
    • 導き出された生産手段の「共有化論」、その成立条件 (103)
    • 今こそ19世紀理論の総括の上に (111)
    • マルクス「共有化論」、その限界と欠陥 ― 時代的制約 (114)
  • 本編 21世紀の社会構想 ― グローバル市場に対峙する免疫的自律世界の形成 (125)
  • はじめに (126)

    • 人は明日があるから今日を生きる (126)
    • 今こそ19世紀未来社会論に代わる私たち自身の21世紀未来社会論を (127)
    • 新たな歴史観の探究を (129)
    • 未来社会論に欠かせない「地域研究」の視点 ― 新たな地域未来学の確立 (132)
  • 第1章 私たちは何とも不思議な時代に生きている (135)

    • いのち削り、心病む終わりなき市場競争 (135)
    • 「二つの輪」が重なる家族が消えた (138)
    • 高度経済成長以前のわが国の暮らし ― かつての森と海を結ぶ流域地域圏 (139)
    • 森から平野へ移行する暮らしの場 (141)
    • 歪められ修復不能に陥ったこの国のかたち (143)
    • 「家族」と「地域」衰退のメカニズム (144)
    • 再生への鍵 ― 家族と地域を基軸に (146)
  • 第2章 あらためて根源から考える ― 人間とは、「家族」とは何か (148)

    • 「家族」の評価をめぐる歴史的事情 (149)
    • 人間の個体発生の過程に生物進化の壮大なドラマが (151)
    • 母胎の中につくられた絶妙な「自然」 (152)
    • 人間に特有な「家族」誕生の契機 (154)
    • 「家族」がもつ根源的な意義 (157)
    • 人間が人間であるために (160)
  • 第3章 「菜園家族」構想の基礎 (164)

    • 生産手段の分離から「再結合」の道へ ―「自然への回帰と止揚」の歴史思想 (165)
    • 週休五日制のワークシェアリングによる三世代「菜園家族」構想 (168)
    • 世界に類例を見ないCFP複合社会 ― 史上はじめての試み (173)
    • CFP複合社会の特質 (177)
    • “菜園家族群落”による日本型農業の再生 ― 高度な労農連携への道 (181)
    • 農地とワークの一体的シェアリング ― 公的「農地バンク」、その果たす役割 (188)
    • 草の根民主主義熟成の土壌 ― 森と海を結ぶ流域地域圏の再生 (194)
  • 第4章 いのち輝く「菜園家族」― 記憶に甦る原風景から (203)

    • ふるさと ― 土の匂い、人の温もり (204)
    • 甦るものづくりの心、ものづくりの技 (213)
    • 土が育むもの ― 素朴で強靱にして繊細な心 (217)
    • 家族小経営の歴史性と生命力 (221)
  • 第5章 「匠商家族」と地方中核都市の形成 (225)

    • 非農業基盤の家族小経営 ―「匠商家族」 (225)
    • 「匠商家族」とその協同組織「なりわいとも」 (229)
    • 「なりわいとも」と森と海を結ぶ流域地域圏の中核都市 (233)
    • 「なりわいとも」の歴史的意義 (238)
    • 前近代の基盤の上に築く新たな「協同の思想」 (242)
  • 第6章 高度経済成長の延長線上に起こった3・11の惨禍 (244)

    • 高度経済成長が地域にもたらしたもの (244)
    • 今日の歪められた国土構造を誘引し決定づけた『日本列島改造論』 (247)
    • 『日本列島改造論』の地球版再現は許されない (252)
  • 第7章 自然循環型共生社会へのアプローチ ― 1つの具体的提案 (257)

    • 「菜園家族」の創出は、地球温暖化を食い止める究極の鍵 (260)
    • 原発のない低炭素社会へ導く究極のメカニズム ― CSSK方式 (262)
    • CFP複合社会への移行を促すCSSKメカニズム (263)
    • CSSK特定財源による人間本位の新たなる公共的事業 (265)
    • 本物の自然循環型共生社会をめざして (268)
  • 第8章 脱近代的新階層の台頭と資本の自然遡行的分散過程 (270)

    • 資本の自己増殖運動と科学技術 (271)
    • 資本の従属的地位に転落した科学技術、それがもたらしたもの (272)
    • GDPの内実を問う ― 経済成長至上主義への疑問 (275)
    • 資本の自然遡行的分散過程と「菜園家族」の創出 (277)
    • 新たな科学技術体系の生成・進化と未来社会 (281)
  • 第9章 苦難の時代を生きる (284)

    • 今こそ「成長神話」の呪縛からの脱却を (286)
    • いまだ具現されない“自由・平等・友愛”の理念 (289)
    • スモール・イズ・ビューティフル ― 巨大化の道に抗して (295)
    • 果たして家族と地域の再生は不可能なのか ― 諦念から希望へ (298)
    • 人々の英知と固い絆と耐える力が地域を変える (304)
  • 第10章 今こそパラダイムの転換を (310)

    • 未踏の思考領域に活路を探る (310)
    • 人間の新たな社会的生存形態が、21世紀社会のかたちを決める (313)
    • 自然界を貫く「適応・調整」の普遍的原理 (315)
    • 自然法則の現れとしての生命 (319)
    • 自然界の普遍的原理と21世紀未来社会 (322)
    • CFP複合社会を経て高度自然社会へ ― 労働を芸術に高める (326)
    • さいごに確認しておきたいいくつかの要諦 (330)
    • 北国、春を待つ思い (336)
  • エピローグ ― いのちの思想を現実の世界へ (343)

    あとがき (351)

    引用・参考文献一覧 (355)

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    はしがき ―解題にかえて

     資本主義経済固有の不確実性と投機性、底知れぬ不安定性。とりわけ人間の飽くなき欲望の究極の化身とも言うべき、今日の市場原理至上主義「拡大成長路線」の虚構性と欺瞞性。そして何よりも目に余る不公正と非人道性、その残虐性は、いずれ克服されなければならない運命にある。
     2013年1月16日、アルジェリア南東部、サハラ砂漠のイナメナスの天然ガス施設で突如発生した人質事件は、わずか数日のうちに政府軍の強引な武力制圧によって凄惨な結末に終わった。

     その後、メディアを賑わす話題は、この種の事件の今後の対策へと収斂していく。現地住民の立場をも視野に入れた公平にして包括的な本質論はほとんど見られず、もっぱら内向きの議論に終始する。こうした中、1月28日、安倍首相は衆参両院の本会議で内閣発足後初めての所信表明演説を行った。演説の冒頭、アルジェリア人質事件に触れ、「世界の最前線で活躍する、何の罪もない日本人が犠牲となったことは、痛恨の極みだ」と強調。「卑劣なテロ行為は、決して許されるものではなく、断固として非難する」とし、「国際社会と連携し、テロと闘い続ける」と声高に叫び胸を張る。

     一方的に断罪するこうした雰囲気が蔓延すればするほど、国民もわが身に降りかかるリスクのみに目を奪われ、事の本質を忘れ、ついには軍備増強やむなしとする好戦的で偏狭なナショナリズムにますます陥っていく。こうした世情を背景に、為政者は在留邦人の保護、救出対策を口実に、この時とばかりに自衛隊法の改悪、集団的自衛権の必要性を説き、憲法改悪を企て、国防軍の創設へと加速化していく。
     このような時であるからこそなおのこと、センセーショナルで偏狭な見方を一転しなければならない。当該現地の民衆が置かれている立場に立って、わが身の本当の姿を照らし出し、この事件を深く考えてみる必要があるのではないだろうか。

     他国の荒涼とした砂漠のただ中に、唐突にもここはわが特別の領土だと言わんばかりに、あたかも治外法権でも主張するかのように、頑丈で物々しい鉄条網を張りめぐらしたミリタリーゾーン。その中で軍隊に守られながら他国の地下資源を勝手気ままに吸い上げ、現地住民の犠牲の上に「快適で豊かな生活」を維持しようとする先進諸国。一方現地では、外国資本につながるごく一部の利権集団に富は集中し、風土に根ざした本来の生産と暮らしのあり方はないがしろにされる。圧倒的多数の民衆は貧窮に喘ぎ、外国資本と自国の軍事的強権体制への反発を募らせ、社会に不満が渦巻いていく。「反政府武装勢力」、そして各地に持続的に頻発するいわば「一揆」なるものは、資源主権と民族自決の精神に目覚めたこうした民衆の広範で根強い心情に支えられたものなのではないのか。これを圧倒的に優位な軍事力によって、強引に制圧、殲滅する。

     まさにこの構図は、今にはじまったことではない。アフガニスタンおよびイラク、イランをはじめとする中東問題が、再び北アフリカへと逆流し、さらには世界各地へと拡延していく。こうもしてまで資源とエネルギーを浪費し、「便利で快適な生活」を追い求めたいとする先進資本主義国民の利己的願望。それを「豊かさ」と思い込まされている、ある意味では屈折し歪められた虚構の生活意識。この欺瞞と不正義の上にかろうじて成立する市場原理至上主義「拡大成長路線」の危うさ。この路線の行き着く先の断末魔を、この人質事件にまざまざと見る思いがする。

     はるか地の果てアルジェリアで起こったこの事件は、今までになく強烈にこれまでの私たちの暮らしのあり方、社会経済のあり方がいかに罪深いものであるかを告発している。と同時に、私たちの社会のあり方が、もはや限界に達していることをも示している。「拡大成長路線」の弊害とその行き詰まりが白日の下に晒され、誰の目にも明らかになった今、18世紀イギリス産業革命以来、二百数十年にわたって拘泥してきたものの見方、考え方を支配する認識の枠組み、つまり近代の既成のパラダイムを根底から転換させない限り、どうにもにもならないところにまで来ている。

     大地から引き離され、根なし草同然となった現代賃金労働者(サラリーマン)という名の人間の社会的生存形態は、今ではすっかり常識となった。一方こうした中で、人間は自然からますます乖離し、自らがつくり出した社会の制御能力を喪失し、絶えず生活の不安に怯えている。高度に発達した科学技術によって固められた虚構の上に築かれた危うい巨大な社会システム。人間は、自然から遮断されたこのごく限られた、僅かばかりの狭隘できわめて人工的な空間に幽閉され、生来の野性を失い、精神の虚弱化と欲望の肥大化が進行していく。今あらためて大自然界の生成・進化の長い歴史のスパンの中に人類史を位置づけ、その中で近代を根本から捉え直し、未来社会を展望するよう迫られている。

     しかし、わが国の現状はどうであろうか。大胆な「金融緩和」、放漫な「財政出動」(防災に名を借りた大型公共事業の復活)、巨大企業主導の旧態依然たる輸出・外需依存の「成長戦略」。とうに使い古されたこの「三本の矢」で、相も変わらず経済成長を目指すという「アベノミクス」なるもの。戦後六十余年におよぶ付けとも言うべき日本社会の構造的破綻の根本原因にはまともに向き合おうともせずに、ただひたすら当面のデフレ・円高脱却、そして景気の回復をと、選挙目当てのその場凌ぎの対症療法を今なお性懲りもなく延々と繰り返す。むしろこのこと自体に、この国の政治と社会の深刻な病弊を見るのである。

     歴史の大きな流れの一大転換期にあって今まさに必要としているものは、その場凌ぎの処方箋などではない。社会のこの恐るべき構造的破綻の本当の原因がどこにあるのか、その根源的原因の究明と、それに基づく長期展望に立った社会経済構造の深部におよぶ変革に、誠実に挑戦することではないのか。
     大地への回帰。この素朴とも言うべき哲理こそが、行き場を失い混迷に陥った今日の社会を根本から建て直す指針となるのではないか。大地への回帰、これを空想に終わらせることなく、現実のものとするための大切な鍵は何か。本書では、近代のはじまりとともに生み出され、長きにわたって社会の基層を構成し、今ではすっかり常識となった賃金労働者という人間の社会的生存形態そのものに着目し、それ自身を根本的に捉え直すことによって、19世紀以来の未来社会論が今日まで不覚にも見過ごしてきた問題を浮き彫りにし、そこから社会構築の新たなる道を探ろうとしている。

     具体的には、本編第三章(「菜園家族」構想の基礎)で述べることになる週休五日制の「菜園家族」型ワークシェアリングによって、近代の歴史過程で大地から引き離された家族に、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具など)を再び取り戻すこと、つまり現代賃金労働者(サラリーマン)と生産手段との「再結合」を果たすことである。これは、いわば賃金労働者と農民という近代と前近代のこの二つの人格的融合による歴史的回帰と止揚(レボリューション)、すなわち21世紀の新たなる人間の社会的生存形態の創出を意味している。これによって、相対的に自給自足度が高く、市場原理に抗する免疫力に優れた「菜園家族」が形成される。それはいまだかつて見ることのなかった、精神性豊かな、慈しみ深い、しかも大地に根ざして生きるおおらかな、素朴で繊細にして強靱な人間の誕生でもある。

     新しく生まれてくるこの「菜園家族」を社会の基礎単位に据えることによって、「家族」と「地域」による多重・重層的な協同関係成立の主体的条件が芽生えてくる。それはやがて、土壌学で言う団粒構造のふかふかとした滋味豊かな土を彷彿とさせる、きわめて自然生的(ナチュラル)で人間味溢れる、しかもグローバル市場原理に抗する免疫を備えた自律的な社会構造へと熟成していく。まさにこれは、人間存在を大自然界に包摂する新たな世界認識のもとに、自然の摂理とも言うべき、自然界の生成・進化を貫く「適応・調整」の普遍的原理(本編第十章「今こそパラダイムの転換を」で詳述)に則して、「抗市場免疫の自律世界」を構築していくことなのである。これこそが、今日の市場原理至上主義「拡大経済」社会に対峙する、21世紀における「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道であり、静かなるレボリューションの名にふさわしい、長期にわたる耐える力と英知を内に秘めた本物の変革と言うべきものではないのか。このことなしには、もはやこの国の今日の事態の解決はありえないであろう。

     このレボリューションには、長い時間と根気が必要不可欠である。この自覚と覚悟がなければ未来はない。こうした変革への着手を遅らせ先延ばしにすればするほど、事態はますます悪化していく。それだけ解決の道のりは遠のき、困難を極めていく。そうこうしているうちに、恐るべき絶望の淵へと追い込まれ、この国の社会の混迷と世界の構造的矛盾は、いっそう深刻な事態に陥っていくことに気づかなければならない。
     アルジェリア人質事件は、大切なもう一つのことを思い起こさせてくれる。圧倒的に強大な権力の圧政、弾圧、暴力に対しては、非暴力・不服従の忍耐強い抵抗運動をもって対峙する。これは、イギリス植民地支配下のマハトマ・ガンジーが苦難に満ちた実践から到達した、実に深くて重い思想である。この思想は、真の解放は暴力によっては決して勝ち取ることができないだけでなく、むしろ暴力によって暴力の連鎖をいっそう拡大させていくという、当時のインドと世界の現実から学びとり導き出された今日にも通ずる貴重な結論でもある。

     嘆かわしいことに、今日の世界で起きている事態は、巨額の軍事費を費やし最新の科学技術の粋を凝らしてつくり上げた、政・官・財・軍・学の巨大な国家的暴力機構から繰り出す超大国の恐るべき軍事力と、自己と他者のいのちを犠牲にする方法によってしか、理不尽な抑圧・収奪に対する怒りを表し、解決する術のないところにまで追い詰められている「弱者の暴力」との連鎖なのである。かつてガンジーがインドの多くの民衆とともに「弱者」の側から示した精神の高みからすれば、大国の強大な軍事力すなわち暴力によって「弱者の暴力」を制圧、殲滅し、暴力の連鎖をとどめようとすることが、いかに愚かで恥ずべきことなのかをまず自覚すべきである。「弱者」が窮地に追い込まれ、そうせざるを得なくなる本当の原因が何であるかを突き止め、その原因を根本的になくすことに努力する。これ以外に暴力の連鎖を断ち切る道はない。

     結局、それを突き詰めていけば、先にも述べたように、先進資本主義国私たち自身の他者を省みない利己的で放漫な生活のあり方、それを是とする社会経済のあり方そのものに行き着くことになるであろう。暴力の連鎖がますます大がかりに、しかも熾烈を極め、際限なく拡大していく今日の状況にあって、超大国をはじめ先進資本主義国の深い内省と、そこから生まれる寛容の精神、そして大国自身そのものの変革が何よりも今、求められている所以である。
     ガンジーはイギリス資本主義の植民地支配と闘う中で、真の独立・自治(スワラージ)は単なる権力の移譲ではなく、インド再生の鍵は農村にあるとし、個人の自立と民族の独立の象徴として紡ぎ車を選び、村落の手仕事の伝統をインド経済の基礎に据え、スワデーシ(地域経済)を復活させようとした。今こそこの深い思想の核心を「弱者」のみならず、むしろ先進資本主義国私たち自身の社会に創造的に生かす時に来ている。

     かつて人々は、現実社会の自らの生産と生活の足もとから未来へつながる小さな芽を慈しみ、一つ一つ育み、しかも自らのためには多くを望まず、ただひたすらその小さな可能性を社会の底から忍耐強く静かに積み上げてきた。人間は、このこと自体に生きがいと喜びを感じてきたのである。本来これこそが、生きるということではなかったのか。大地に生きる人間のこの素朴で楽天主義とも思える明るさの中に、明日への希望が見えてくる。これはまさに「静かなるレボリューション」の真髄にほかならない。

     旧き世界に訣別し新たなる社会システムを構築するには、それをはるかに超える新たな認識の枠組みが必要になる。今こそ迷いやためらいを断ち切って、18世紀産業革命以来長きにわたって囚われてきた近代の呪縛から、解き放たれなければならない時に来ている。この重大なパラダイムの転換を成し遂げてはじめて、近代を画する新たなる世界、すなわち市場原理に抗する免疫的自律世界、つまり「菜園家族」基調の自然循環型共生社会構築の道は、次第に切り開かれていくであろう。変わらなければならないのは、中東やアフリカやアジアの人々ではない。何よりもまず、先進資本主義国の私たち自身なのである。
     21世紀人々は、大地への回帰と人間復活の高度自然社会への壮大な道を歩みはじめる。

    あとがき

     騙されても騙されても、それでもまた繰り返し騙される。人々はそんな不甲斐なさに打ち拉(ひし)がれ、どうしようもない無力感と政治不信に陥っていく。その一方で、「アベノミクス」なるものの実体のない束の間のつくられた円安・株高に淡い期待を寄せ、浮き足立ち酔い痴れる。さんざんそうさせられた挙句に、またもや「選挙」だと言うのである。何とも不条理で不気味な時代に突き進んでいく。

     2012年12月の衆議院選での「一票の格差」訴訟に対して、翌2013年3月に入り、「違憲」そして「無効」の一連の司法判断が次々に下された。思えば、長きにわたって人々を愚弄してきたこの偽りの選挙制度のもとで、私たちは「選挙」だけに頼る「政治」にあまりにも安易に幻想を抱いてきたのではなかったのか。かくも歪曲された「政治」のあり方を民主主義と思い込み、この両者を根本から履き違えてきたのではなかったのか。今こそ覚悟を決め、思考停止と「お任せ民主主義」から抜け出さなければならない時に来ている。

     自らの頭で自由に考え、他者を尊重し、ねばり強く対話を重ね、めざすべき21世紀の未来像を共有する。この長期にわたる苦難と試練のプロセスの中からこそ、自らの力量を涵養し、自らの手で、自らの未来を切り開くことができるのである。これこそが民主主義の真髄ではなかったのか。
     諦めてはならない。私たちの本当の歴史は、今ここからはじまろうとしている。昌益の精神に学び、「21世紀未来構想草の根シンクタンク自然(じねん)ネットワーク」なるものの必要性とその緊急性を第七章で敢えて喚起したのも、戦後68年が経った今なお、草の根の本物の民主主義が育っていない現状に気づかされたからにほかならない。今日の政治の堕落と社会の混迷の原因のすべてがそこに凝縮されている。本物の民主主義の復権、そして21世紀のあるべき未来像をもとめて止まないひたむきな対話の一角に、ささやかながらも本書が加わることができるならば、こんなうれしいことはない。

     長きにわたる閉塞状況から忌まわしい反動の時代へとずるずると急傾斜していく中、それでも怒りを堪(こら)え、じっと耳を澄ませば、新しい時代への鼓動が聞こえてくる。たとえそれが幽かであっても、信じたいと思う。そして対話への期待も、その意義も、未来への光もそこに見出したいのである。
     本書をまとめるにあたっては、実に多くの方々からご助言を仰ぐことになった。この場を借りてお礼を申し上げたい。これからはじまる終わりのない長い対話の道のりにあっても、引き続き変わらぬご指導をお願い申し上げる次第である。

     最後になったが、昨今の出版界の厳しい情況にもかかわらず、拙稿の真意を瞬時に汲み取り、即座に出版を決断された御茶の水書房の社長橋本盛作さん、そして隅々にまで心を配りご尽力くださった小堺章夫さんはじめ編集部のみなさんにあらためて衷心より感謝の意を記したいと思う。

    2013年5月21日 ―小満の日―
    琵琶湖畔鈴鹿山中、里山研究庵Nomadにて

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