連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」プロローグ
新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―
プロローグ 国破れて山河あり
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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
プロローグ “国破れて山河あり”
(PDF:421KB、A4用紙5枚分)
私たちは、大地からかけ離れ、余りにも遠くに来てしまいました。今、私たちの暮らしや生産のあり方そのものが、根源から問われているのではないでしょうか。
日本の農村コミュニティは、最悪の事態に直面しています。65歳以上の高齢者が住民の半数を超え、集落の自治や、生活道路の管理、祭りをはじめとする村の行事など、共同生活の維持が困難になった「限界集落」が、全国各地に続出。その数は、7873にも及ぶと言われています。
こうした集落では、就学年齢より下の子どもはほとんどいません。一人暮らしの老人とその予備軍のみが残り、田畑は荒れ、空き家は朽ちるのを待つばかりです。この先、2641にものぼる集落が、いずれ消滅するとさえ想定されています(国土交通省調査、2006年)。
一方、大都市では、人口の集中による過密化が生活環境や子どもの育つ場を悪化させてきました。競争にかきたてられる教育環境のもとで、これまでには考えられなかった異常事態が、子どもの世界にも次々に起きています。
さらには、失業者や不安定労働、いわゆる「ワーキング・プア」が増大し、所得格差がますます拡大しています。同時に、正規労働者も成果主義のもとで過重労働に晒され、心身を病むなど、新たな問題を抱え、解決不能の状況に陥っています。
特に、バブル崩壊後の“就職氷河期”のさなか、職業人生のスタートでつまづいた多くの20~30代の若者たちが、明日への希望を何ら見出せないまま、絶望と孤独のうちにさまよっています。このままこうした層が年々累積してゆけば、ますます殺伐とした社会になるでしょう。
庶民の切実な悩みをおきざりにしたまま、効率よく利潤を得ようと、農林水産業を捨て、今や工業をもないがしろにして、富裕層は、投機的“マネーゲーム”に奔走しているのが日本社会です。額に汗して大地を耕し、“もの”を手づくりする術(すべ)を忘れ、莫大な利益を瞬時のうちに手にしようと、巨額の資金を操るディーラーや投資家の群像。巨万のマネーは、今、地球を駆け巡っています。
こうした市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」においては、“景気回復”の方法は、結局、消費拡大によって消費と生産の循環を刺激する以外にはなく、それは所詮、“浪費”の奨励にしかすぎません。「21世紀は“環境の時代”」といって、「地球環境の保全」を声高に叫んでも、その同じ口から“浪費”を奨励しなければ立ち直れない。そんなどうしようもないジレンマに陥らざるを得ないのです。
つまり、市場競争至上主義「拡大経済」を前提にする限り、人類が直面する最大の課題である地球環境の問題においても、表面的な対策を平然と誇らしげに喧伝するほかありません。
このような今日の社会的状況は、これまでの「改革」なるものが、実は、うわべだけを糊塗する、行き当たりばったりの対症療法に過ぎなかったばかりか、庶民に過酷な負担のみを強いる、未来社会構想不在の、単なるその場しのぎの欺瞞の政策にほかならなかったことを如実に示しています。
私たち人類は今、少なくとも18世紀イギリス産業革命以来、二百数十年間、人々が拘泥してきたものの見方・考え方を支配する認識の大きな枠組み、つまり、既成のパラダイムを根本から変えなければならない時に来ているのではないでしょうか。
市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」から、都市と農村の首尾一貫した連帯による自然循環型共生社会への根本的転換は、これ以上、先送りできない緊急の課題です。
ところで、私たちの過去の暮らしは、どのようなものであったのでしょうか。
日本列島を縦断する脊梁山脈。この山脈を分水嶺に、太平洋側と日本海側へと水を分けて走る数々の水系。これらの水系を集めて流れる河川に沿って、かつては、森と海(湖)を結ぶ流域循環型の地域圏(エリア)が形成されていました。
川上の森には、奥深くまで張りめぐらされた水系に沿って集落が点在し、人々は山や田や畑を無駄なくきめ細やかに活用し、自らのいのちをつないできました。森によって涵養された無数の水源から、清冽な水が高きから低きへととめどもなく流れるように、森の豊かな幸は、山々の村から平野部へと、人々によって運ばれていきます。それとは逆方向に、平野や海(湖)の幸は、森へと運ばれていきました。
森と野と海(湖)の人びとは、互いに補完し合いながら、それぞれかけがえのない独自の資源を無駄なく活用する自立度の高い流域地域圏(エリア)を、太古の縄文以来、長い歴史をかけて築きあげてきたのです。
こうした流域地域圏(エリア)は、それぞれが独特の個性に彩られ、生き生きと息づき、その1つひとつが、日本列島の北から南まで、モザイク状に隈無くちりばめられていました。そこには、自然に溶け込むようにして生きる人びとの姿、人びとの暮らしがありました。
ここ数年来、私たちが提起してきた「菜園家族」構想は、戦後、高度経済成長の過程ですっかり衰退した無数の流域地域圏(エリア)をふたたび甦らせることによって、農山村の過疎・高齢化と、平野部の都市過密を同時に解消し、国土全体にバランスのとれた循環型地域社会を築くことをめざしています。
それによってはじめて、今日の日本経済の行き詰まりと限界は克服され、市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」は、大地に根ざした「菜園家族」を基調とする自然循環型共生社会へと、次第に転換していくにちがいありません。
この「菜園家族」構想のもとに、これまで私たちは、具体的には、環琵琶湖圏(近江国おうみのくに・滋賀県)を広域地域圏モデルとしておさえ、そのなかから特に湖東の「犬上川・芹川 ∽ 鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)(彦根市および犬上郡多賀たが町・甲良こうら町・豊郷とよさと町の一市三町からなる)を選び、調査研究を重ねてきました(記号∽は、森と海(湖)の間の「水」や「ヒト・モノ」の循環を表す)。
奥山の集落、ここ大君ヶ畑の地には、犬上川の源流域にあたる鈴鹿山脈の最高峰・御池岳(おいけだけ 1247m)の頂上にあって、風雲を自在に支配するという神=竜神にまつわる民話『幸助とお花』が、今に伝えられています。
それは、犬上川上流域の大君ヶ畑の「森の民」幸助と、中流域の扇状地にあって、しばしば旱魃に悩まされていた北落(きたおち 現在の甲良町の農業集落)の「野の民」の娘・お花が、竜神への誓いを反古(ほご)にした罪をあがなうために、山頂の御池に身を投げる、という悲恋の物語です。最後に竜神が現れ、「お前たち二人は、私の身代わりとなり、この池を守って、犬上川流域の旱ばつからみんなを守るように」と言って、天に昇り、突如姿を消したといいます。
『幸助とお花』を読み解いていけば、犬上川流域で長い歴史を生きぬいてきた数々の先人たちの、天上と森と野と湖をめぐる恵みの水の自然循環と、自らの流域地域圏(エリア)の暮らしへの深い思いが投影されていることに気づくはずです。
この民話に触発されて、大君ヶ畑と北落の人びとは1989年に兄弟邨(むら)の契りを結び、「森の民」と「野の民」の交流を続けてきました。きびしい自然と時代に翻弄されてきた長い歴史の中で、この流域の先人たちが果たせなかった、「地域」への深い思いや、人間として幸せに暮らしたいという素朴な願いを、21世紀のこの時代に何とか果たしたい。そんな両村の人びとの切なる思いがひしひしと伝わってきます。
私たちが地域モデルに設定した犬上川・芹川流域地域圏(エリア)を考察していくなかで見えてくるものは、決してこの一地域に限られた個別特殊な問題ではありません。むしろ、一地域をとりあげ、そこにこだわり、具体的に執拗に掘り下げて考察することによってはじめて、そこに日本の縮図のように凝縮されている、今日の農山村と都市の問題を、トータルに生きたままリアルに捉え、そこにうごめく矛盾のメカニズムをより鮮明に浮き彫りにし、未来を展望することが可能になると考えています。
逆説的な言い回しになるかもしれませんが、私たちの地域研究は、あくまでも個別具体への固執によって、個別特殊ではなく、普遍に到達する方法を選んでいます。地中深く井戸を掘り下げ、やがて豊かな地下水脈に達した時はじめて、広々とした世界の真実につながっていくのです。
ここ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)でとりあげられ、捉えられたすべての問題は、日本列島の北から南まで隈無くちりばめられている他の多くの流域地域圏(エリア)で、同じく苦悩している人びとにも、きっと自分自身の問題として迫ってくるでしょう。
その自覚を可能にしているのは、今日の日本の、そして、21世紀現代世界の、理不尽なまでに人々を苦しめている客観的現実そのものなのです。そして、地域の未来を切り拓くのは、他でもない、この不条理の世界の苦しみの中から目覚め、行動する現代の若き幸助とお花たち自身なのです。
国破れて山河あり
城春にして草木深し
お馴染みの杜甫(とほ 712~770)の「春望」、冒頭の対句です。杜甫は、晩年、妻子とともに、四川省成都の郊外、浣花渓(かんかけい)に茅葺きの草堂をむすび、排(はら)うべき社会への憂いを心に秘めながらも、ささやかな菜園に癒されつつ、自然との大いなる調和のなかに、心の平安を得たといわれています。
国の機構が解体し、ボロボロの無惨な姿になったとしても、自然は超然として存在しています。今こそ、私たちは、もう一度この母なる自然に帰り、ゼロからの覚悟で本気で出直すのです。
菜園家族レボリューション 。
“レボリューション”とは、もともと旋回であり、回転ですが、天体の公転でもあり、季節の循環でもあります。そこには、自然と人間界を貫く深遠な哲理が秘められているように思えてなりません。
原点への回帰を想起させるに足る壮大なる動き。現代工業社会の廃墟の中から、それ自身の否定によって、田園の牧歌的情景への回帰と人間復活の夢を、この“菜園家族レボリューション”のことばに託したいと思います。
ごく一部の為政者による、中途半端なごまかしの繕いなどは、もはや許されないのです。
国破れて山河あり
次代を切り開く
てこの役割を担いつつ
どっこい菜園家族は生きていく
――― ◇ ◇ ―――
★ 新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。
2023年11月4日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子
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