“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その7―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その7 ―

記憶に甦る「菜園家族の世界」
―21世紀生命系の未来社会の原形―

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要諦再読 ―その7―
“記憶に甦る「菜園家族の世界」”
(PDF:568KB、A4用紙8枚分)

大豆

甦る大地の記憶
心ひたす未来への予感

 この「要諦再読」では、“21世紀生命系の未来社会”具現化の道である「菜園家族」社会構想を深め、考えていくのであるが、ここでは概念と論理だけで展開する抽象レベルの論述を避け、記憶に甦る原風景から、まずは「菜園家族の世界」の原形を身近に具体的にイメージできる世界に描くことからはじめよう。

 ところで、画家・原田泰治の“ふるさとの風景”は、現代絵画であると言われている。日本からは、もうとっくに失われてしまった過去の風景でありながら、そこには現代性が認められるという。
 たしかな鳥の目で捉えるふるさとの風景の構図。しかも、心あたたかい虫の目で細部を描く、彩り豊かな原田の絵画の世界には、きまって大人と子どもが一緒にいる。大人は何か仕事をし、子どもたちはそのそばで何かをしている。人間の息づかいや家族の温もりが、ひしひしとこちらにむかって伝わってくる。込みあげてくる熱いものを感ぜずにはおられない“心の原風景”が、そこにはあるからであろう。21世紀をむかえた今、子どもと家族の復権を無言のうちに訴えかけてくる。

 私たちがめざす「菜園家族」の、そして「地域」のあるべき姿は、高度経済成長期以前にかつてはあった自然循環型共生の暮らしを原形にしながらも、それを時間をかけてゆっくりと21世紀の今日の時代にふさわしい内容につくりかえ、いっそう豊かなものにつくりあげていくものになるであろう。
 ここでは一旦、多くの人々の記憶の世界に今なお深く刻まれている、いわばこの暮らしの原形に立ち返り、「菜園家族」の未来の姿を考えるための大切な素材として、とりあえず素描しておくことにしよう。今後、多くの人々の豊かな経験や優れた英知を結集しつつ、また、新たな時代の実生活の要請に応え、それぞれの地域の自然や歴史の多様性をも組み込みながら、あるべき未来の「菜園家族の世界」は、ますます具体的な内実をともなって、時代とともに豊かな像を結んでいくことになるであろう。

ふるさと ―土の匂い、人の温もり―
 山や川や谷あい、それに野や海に恵まれた日本の典型的な地域では、「菜園家族」は、季節の移ろいの中で、自然の豊かな変化をも巧みに生かし、工夫を凝らす。家族総出で、それぞれの年齢や性別や、人それぞれの個性にあった能力を生かしつつ、お互いに助け合い、生活を愉しむのである。

 食べ物は、今では“旬”が分からなくなってしまった。ガソリンと労力を浪費して、国内の遠隔地からだけではなく、海外からも運び込んだり、石油を使ってビニールハウスで真冬でも夏のものを栽培したりする。一見、一年中豊かな食材に恵まれているかのようである。
 しかし、こうした「ぜいたく」は、世界人口の“5分の4”を占める先進工業国以外の人々の視点からすれば、許されるはずもない。それに本当は、その土地土地の土と水と太陽から採れる“旬”のものが、味も濃く、香りも高く、栄養もあり、一番おいしいはずである。それが自分の手作りとなれば、なおさらのことである。
 自然は、今も昔も変わらない。残雪がとけ、寒気がゆるみはじめると、日本列島にまた、一気に春がやってくる。

   日の光今朝(けさ)や鰯(いわし)のかしらより (蕪村)

 三寒四温。まだまだ風は肌を刺すように冷たいのであるが、野生のフキノトウを探しにいくのもよいものである。晴れ間を待ちかねて出かけると、枯れ葉の陰に、淡い黄緑色に光るフキノトウを見つける。天ぷらや酢味噌あえ、フキノトウ味噌にし、春一番を胃袋に納める。根元に赤い紅を差したような色合いが、葉先の黄緑色を際立たせ、小さくとも力強さをいっそう感じさせる。

    我宿(わがやど)のうぐひす聞(きか)む野に出(い)でて (蕪村)

 山あいの畑には、大根やカブラやスイカ・カボチャ・ジャガイモ・サツマイモなども丹念につくることになる。田・畑の端には、ラッキョウやネギを植え、里芋やゴボウや人参なども、土地を選んで植えることになる。
 家のすぐ近くには、苗代や手のかかる夏野菜をつくり、夏大根やカブラ菜・カラシ菜の間引き菜が大きくなれば、和え物・おひたし・浅漬に利用する。

    菜の花や月は東に日は西に (蕪村)

 菜の花畑一面、目にも眩しい黄色の広がり。のどかな春日を受け、山里に鮮やかな色彩を添える。花は摘んで浅漬にし、ご飯に添えてかきこめば、格別にそのシャリッとした歯ごたえを愉しむこともできる。

   鯰(なまず)得て帰る田植えの男かな (蕪村)

 5月は田植えの季節。エンドウ豆の青い匂いが懐かしい。さわやかな青空の下、新茶の茶摘み。6月はキュウリ・菜っ葉類、7月には茄子(なす)・瓜・カボチャ・青トウガラシがどんどん育つ。茄子やキュウリは塩や味噌で漬けて保存し、冬に備える。

   夕だちや草葉をつかむむら雀(すずめ)  (蕪村)

 土用の頃、夕立雲が近づいてくると、子どもたちは慌てて田んぼの畦に、竹で円筒形に編んで作ったウツボという罠を仕掛ける。そして、雨が上がるのを待ちかねて、ウツボをあげに駆けていくのである。脂がのり腹を黄色くさせ丸々と太ったドジョウが、音をバタバタさせながらぎっしり詰まっている。子ども心にもこの一瞬は、何とも言いようのない一種不可思議で壮快な気分を味わう。このドジョウは、畑から摘んだニラと採りたての卵でとじて、家族そろって鍋にして英気を養う。こんなことは、幼い日の日常の愉しみであった。

 暑い盛りには、なんと言っても焼き茄子が最高である。あるいは味噌に砂糖を少々加え、高温の油で炒めれば、茄子独特の深みのある濃い味わいが出て、これもよいものである。秋になると、茄子はいっそう味が深みを増す。「秋茄子、嫁に食わすな」ということばがあるくらいである。

 秋茄子で思い出したのだが、モンゴルの遊牧民にも同じような話がある。ヒツジの胃袋の下の出口、つまり幽門あたりを、モンゴル語でノガロールと言って、これがまた脂がのってとびっきり旨いのである。未婚女性がこのノガロールを食べると、土地神が引きとめ、お嫁に行けなくなるという。
 いざ食べ物のことになると、民族の垣根を越えて何か共通する発想があっておもしろい。こうした話は、食卓を囲む団欒をひときわ愉しくする。

   貧乏に追いつかれけりけさの秋 (蕪村)

 お盆がすむと、秋野菜の種播きにかかる。大根はタクアンや干し大根や煮しめや漬物にと、用途が多い。里芋の葉は夏に採って乾燥させ、白和えなどに使う。茎は皮をむき、10日ほど干して、和え物や煮物にも使う。雪が積もらないうちに、ゴボウや人参、カブラ・大根・ネギなどは土中に埋めて、冬に備える。

   入道のよゝとまいりぬ納豆汁(なっとじる) (蕪村)

 水田では、うるち米やもち米の稲を育て、それに畦には、大豆や小豆(あずき)・黒豆などを植える。こうして畑や水田からだけでも、1年間、絶えることなく、いろいろな作物が次から次へと湧き出ずるように出てくる。

   鵯(ひえどり)のこぼし去りぬる実の赤き (蕪村)

 時には、野山や川や湖や海辺を家族そろって散策し、川魚や海の魚介類・海藻を採って、食卓をにぎわすのも最高の愉しみになる。また、蕨(わらび)・ゼンマイ・フキ・ウド・ワサビ・ミツバ・山椒・ミョウガ・筍(たけのこ)・自然薯(じねんじょ)など、変化に富んだ山菜は、季節季節の愉しみである。松茸やシメジ・椎茸・平茸などのきのこ類や、栗・栃・桑・クルミ・スグリ・コケモモ・キイチゴなどの木の実は、山の散策をいっそう愉しいものにしてくれる。
 たまには集落の人々と力を合わせ、ヤマドリや熊・鹿・イノシシ・ウサギ・蜂の子などの狩りをするのも、年に一、二度の愉しみになることであろう。

 こうしたことは、食生活に変化を添えるだけではない。野山や川や海辺の自然に親しみ、太陽をいっぱい受け止め、きれいな空気を存分に吸い込み、身体を動かし、家族や友人とともに心を通わせ、ややもすると陥りがちな日常の沈滞から抜け出す絶好の機会にもなる。素朴ではあるが、英気を養う素晴らしいレクリエーションでもある。

  鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半(よは)の門(かど) (蕪村)

  なれ過(すぎ)た鮓(すし)をあるじの遺恨(ゐこん)哉 (蕪村)

 田んぼや川や湖の魚は、今では少なくなってしまったが、「菜園家族」が復活し、近隣にある大学の水産学の研究室や水産研究所などと連携し、放流養殖や給餌養殖の研究、それに魚類資源保護の研究にもっと力が注がれるならば、昔以上に日本の魚類資源は、豊かになっていくであろう。
 海の魚介類や海草はもちろん、鰻やドジョウ・ナマズ・鮒(ふな)・鯉・ゴリ・モロコ・岩魚(いわな)や鮎・アマゴ、そしてシジミ・タニシなど、高級魚介類に限らない多種多様な地魚や地場の水産物をもう一度うまく活用できる時代が、きっとやってくるにちがいない。
農学や林学や水産学などを研究している大学や研究機関との連携はますます強化され、地域住民の知恵は、研究に大いに生かされることになるであろう。

   青うめをうてばかつ散る青葉かな (蕪村)

 屋敷のまわりには、柿や梅や桜や栗など、それにイチジクやザクロや梨などのほかに、ケヤキや檜や樫などが植えられる。住空間に落ち着きを与えるだけではなく、風通しのよい木造建築に木陰をつくる。
 夏は密閉してクーラーで冷やすのではなく、開放して自然の風を通し、暑さを凌ぐのである。住居の構造も、こうしたものに工夫されていくことであろう。エネルギーの消費量は大幅に削減され、それに、太陽光や太陽熱、風力、小水力、地熱、バイオマス(薪、炭、木質ペレット・チップ、家畜糞尿等)など、地産地消の小規模・地域分散型エネルギーの研究も一層すすみ、「菜園家族」は、自然のエネルギーを地域住民主体で有効に活用していくことになる。

   田に落(おち)て田を落(おち)ゆくや秋の水 (蕪村)

 こうした住環境の中では、柿の木から柿をもぎとり、畑からとれた大根や人参を使って柿なますを作るのもいい。細切りにした干し柿を酢に漬け、大根と人参の千切りを加え、鉢に盛りつけて、すり胡麻をかけると、柿の甘さが生きてくる。これもすべて身近なところでとれた食材に、気軽にちょっぴり工夫を加えた手作り料理なのである。
 また、茄子とエンドウは、食べやすく切って湯がき、ミョウガの子は、塩で殺し、茄子とエンドウ豆と一緒に胡麻味噌で和える。こうした工夫は、いちいち挙げればきりがない。

   黄に染(そみ)し梢(こずゑ)を山のたたずまゐ (蕪村)

 屋敷から少し離れた周囲には、ニワトリやヤギやヒツジや乳牛の家畜類やミツバチを飼育するのも、「菜園」にバラエティーをもたせる上で大切なことである。ヤギや乳牛の乳を搾り、ニワトリから産みたての卵がとれれば、生チーズやバターやヨーグルト、それに自家製のパンやケーキなども作りたくなる。ヨーグルトやパンに、野山の花々の天然ハチミツをかければ最高である。創意工夫は、際限なく広がっていく。

 こうした家畜・家禽類は、田や畑からとれるものを無駄なく活用する上でも、また、堆肥を作るのにも即、役立つものである。堆肥を施し、丹精を込めて作りあげたふかふかの土の中から、秋の味覚サツマイモがとれれば、お隣りや近所にもお裾分けしたくなるのが人情である。これはまさに、自分が苦心して創作した芸術作品を、他の人にも鑑賞してほしいという、自己表現の本質につながる共通の行為なのかもしれない。

   我宿(わがやど)にいかに引(ひく)べきしみづ哉 (蕪村)

 家畜の中でも特にヤギは、乳牛に比べて体も小さく、扱いやすく、子どもたちやお年寄りでも気軽に世話ができる。粗食に耐え、どんな草でも食べるので、田んぼの畦道や畑や屋敷などの除草の役割も果たしてくれる。それに山あいや谷あいの林や森の下草などの除草にも役に立つ便利な家畜なのである。

 西部モンゴルのゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村での体験からであるが、日本でも地方によっては、山林の麓の一部や尾根づたいにヤギのために高原牧場を拓き、ヤギを群れで管理するのも雄大で面白い試みであろう。
 ヤギの搾乳は、これもまた乳牛に比べるとずっと簡単で、子どもたちでもお年寄りでも気軽にできる仕事である。子どもたちにこの小型の家畜の世話を任せると、情操教育にはうってつけである。

   鮒(ふな)ずしや彦根が城に雲かかる (蕪村)

 ヤギの乳からできるヨーグルト、それに各種のチーズの味は、鮒ずしや鯖のなれ鮓(ずし)の風味に似て絶品である。良質の蛋白質、脂肪、ミネラル、とくにカルシウムを豊富に含んだヤギのチーズは、現代の食生活に最もふさわしい優れた食品になるであろう。
 チーズは風土の産物ともいわれている。姿、味、香りもそれぞれ違う。それだけに、作る愉しみは格別で、芸術作品の制作にも劣らぬ喜びがあるといわれている。たまには隣近所の人々が集まって、知恵を出し合い、共に料理を作ることもあるだろう。あるいはパーティーや宴会がどこかの家で開かれることになれば、こうした“作品”をもち寄って、お家自慢に花が咲く。

   主(ぬし)しれぬ扇(あふぎ)手に取(とる)酒宴かな (蕪村)

 1999年夏、ドキュメンタリー『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(小貫・伊藤共同制作、三部作全六巻・7時間40分、1998年)の上映の旅で訪れた、沖縄・八重山群島の竹富島。そこでご馳走になった“ヒージャー・チャンプルー”は、忘れられない味である。
 ヒージャー(土地の言葉でヤギのこと)の背の肉をぶつ切りにし、あとはタマネギ、キャベツ、それにパパイヤを大きめに切って加えて炒めるだけである。パパイヤの甘味と酸味が、ヒージャーのしまった肉にしみわたり、やわらか味が出て、なんとも言いようのないまろやかな風味を醸し出す。
 モンゴル、山岳・砂漠の村ツェルゲルのヤギ・ヒツジ料理にも感心したが、やはり土地土地の風土にふさわしいものができあがるものである。

 ヤギは、乾燥アジア内陸に位置するモンゴルでも、高温多湿な南の島・沖縄でも、大活躍である。この小型で多種多様な役割を一手に引き受けてくれるヤギたちを、「菜園家族」は、自分たちの暮らしの中にもっともっと生かすことであろう。日本のふるさとには今までに見られなかった田園風景の美しさ、そして暮らしの可能性を、ヤギたちはうんと広げてくれるであろう。

   古酒(くす)(ほ)して今は罷(ま)からん友(とも)が宿 (雅)

 竹富島のすぐ隣りの石垣島。はじめてお会いした八重山農林高校の江川義久先生ご夫妻には、大変お世話になった。空港に降り立ったときから島を離れるまで、上映活動を付きっきりで支えて下さったのである。
 南の島々の暮らしや、ふるさとの自然に生きる人々の心に触れ、得るものの多かったこの旅の最後の夜、先生は、ご自宅に招いて下さった。床の下の甕(かめ)に寝かせて大切にとっておいた、何年物の泡盛を酌み交わし、夜の更けるのも忘れて語り合ったのである。

 あれから23年余の歳月が経った。今、石垣島では、台湾有事に備え、「島民を守るために」と言う口実のもと、自衛隊、米軍の最前線基地の建設がごり押しに進められている。こんなことが再びあの沖縄にあっていいのであろうか。

 常日頃から、如何にも庶民の味方であるかのように、「聞く耳がある」と嘯(うそぶ)く岸田首相は、平和を願う自国沖縄の切実な声を踏みにじり、米国巨大政権の走狗となって、なりふり構わずウクライナ「人道支援」を掲げ、隠密に首都キーウを電撃訪問。戦争当事国に日本の首相が訪れるのは、戦後初めてのことである。
 ウクライナ、ロシア双方に連日連夜、多数の戦死傷者が続出しているまさにその激戦地で、岸田首相は、無神経にもゼレンスキー大統領に、「敵を飯(めし)とる=召し捕る」という云われの地元・広島の縁起物「必勝しゃもじ」を贈ったという。これが、世界に誇る「非武装・非戦、非同盟・中立、世界平和」の憲法を持つ国の首相なのである。

 わが国は、決して一方の側に立ち、国際社会に分断と対立を持ち込むようなことがあってはならない。いわんや、日米軍事同盟などはとんでもないことなのだ。それが国是なのである。
 残念ながら、権力的為政者のみならず、戦後長年にわたる憲法違反の既成事実の狡猾な積み重ねによって、多くの国民もすっかり麻痺させられてしまったようだ。
 危険極まりない、こんなどん底があっていいのだろうか。
 このままでは
 もう後戻りできなくなってしまう。

蕪村の句は、尾形仂 校注『蕪村俳句集』(岩波文庫、1989年)に拠る。

2023年4月1日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その7」の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
尾形仂 校注『蕪村俳句集』岩波文庫、1989年
農文協各県編集委員会 編『日本の食生活全集』(全50巻)農山漁村文化協会、1984~1993年
河井智康『日本の漁業』岩波新書、1994年
吉田桂二『民家に学ぶ家づくり』平凡社新書、2001年
小林俊夫「山羊とむかえる21世紀」『第4回全国山羊サミットinみなみ信州 発表要旨集』日本緬羊協会・全国山羊ネットワーク・みなみ信州農業協同組合生産部畜産課、2001年
日本放送出版協会 制作『国産ナチュラルチーズ図鑑 ―生産地別・ナチュラルチーズガイド』中央酪農会議・全国牛乳普及協会・都道府県牛乳普及協会、2000年
スー・ハベル『ミツバチと暮らす四季』晶文社、1999年
佐々木正己『ニホンミツバチ ―北限のApis cerana―』海游舎、1999年
映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』小貫雅男・伊藤恵子共同制作(三部作全六巻・7時間40分)、大日、1998年

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