【緊急提言 ― 北朝鮮問題と未来への決断】21世紀この国と地域の未来を考える 自然(じねん)懇話会(仮称)の芽を各地に(字句加筆・訂正版)
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21世紀この国と地域の未来を考える 自然懇話会(仮称)の芽を各地に
(2017年8月3日付 字句加筆・訂正版、PDF:238KB、A4用紙5枚分)
【緊急提言 ― 北朝鮮問題と未来への決断】
21世紀この国と地域の未来を考える
自然(じねん)懇話会(仮称)の芽を各地に
本質を眩ます巨大欲望の魔性
果てしなく混迷を深める今日の世界。先の見えない生活への不安とにわかに現実味を帯びてきた核戦争の脅威。
欲望の化身ともいうべき巨大資本は、その得体の知れない魔性によって、明日への希望を見失った民衆を巧みに操り、惑わす。
社会のシステム自体があまりにも巨大で複雑不透明であることをいいことに、民衆の生活苦と差し迫る核戦争の脅威の原因を生み出してきた自らの責任を問うことなく、それがあたかも避けることのできない不可抗力の天災であるかのように思わせ、人々を無気力と諦念へと容赦なく追い込んでいく。
私たちは知らず知らずのうちに、この巨大な妖怪の魔術にかけられてはいないか。
巨大な軍事力を背景に敵愾心を煽り対立を深める世界
これまで超大国アメリカをはじめ日本など先進資本主義諸国は、きまって仲間同士徒党を組み、「テロとの戦い」とか「核不拡散」とかを口実に、特定の国を仮想敵国に仕立て、対立と敵愾心を煽ってきた。
なかんずく極東においては、長きにわたって米韓合同軍事演習が大々的に展開されてきた。と同時に、アメリカとそれに追従する日本の指導者は、口を揃えて武力威嚇の本音、本質を眩ます欺瞞の常套句「対話と圧力」を呪文のように繰り返し、自らは日米軍事同盟のもと、軍事力を際限なく強化していく。
カール・ビンソン、ロナルド・レーガン、それにニミッツも加え、これらを中核にした世界最大級と言われる米原子力空母打撃群を日本海とその近海に集結させ、海上自衛隊の大型護衛艦ひゅうがまで道連れに日米合同軍事訓練を強行し、果てには「自衛のため」だと、敵基地先制攻撃をも辞さないと威嚇する。
緊張を高めてきたのは、果たして北朝鮮の側だけなのか。超大国とその追従者は、「対話と圧力」と言いつつ、自らは国連の舞台で公然とヒバクシャと世界諸国民の宿願でもある核兵器禁止条約を拒否し、あくまで核に固執する。そして、日米軍事同盟のもと巨大な軍事力を背景に相手を威嚇し、圧倒する。さらには、経済制裁包囲網を強め、孤立化をはかるという。何と身勝手なことか。その結末は、民衆に壊滅的犠牲を強いる、勝者も敗者もない一触即発の核戦争なのだ。今や日米軍事同盟は、国民の暮らしと生命を守るどころか、むしろそれを根底から冒涜する究極の脅威の根源であることを露呈したのである。
問われるべきは超大国の責任
今ここで第二次世界大戦後の歴史を紐解くだけでも、ことの本質はすぐに分かるはずだ。
戦後一貫して、自らの価値とは異質の分子、異質の体制を敵視し、何かと屁理屈を捏ねては孤立させ、排除しようと武力を行使し、世界各地で血みどろの戦争を仕掛けてきたのは、一体誰だったのか。
今こそ当事者は、戦後の歴史をあらためて振り返り、謙虚に反省しなければならない時に来ている。相手の立場に立って、相手の存立そのものを認める寛容の精神、つまり体制の違いを超えて、平和に共存する精神が求められているのである。
朝鮮半島で偶発的にせよ、一旦、戦闘の口火が切られたらどうなるのか。軍事基地双方入り乱れての核ミサイル発射の狂気の応酬になる。南・北隔てなく朝鮮半島の全域はおろか、米軍基地と化した沖縄、日本本土の住民は壊滅的な打撃を被ることになる。生き残るのは、太平洋のはるか彼方のアメリカの権力者だけではないか。
「対話と圧力」などと欺瞞の手練手管を弄ぶことが如何に愚かで恥ずべきことかを、超大国アメリカをはじめそれに追従する日本の権力者は、しかと知るべきである。
今ここに至って、ついに日米両国の首脳は、もはや「対話ではなく圧力が重要だ」と、いよいよその本性をさらけ出す。威嚇すればするほど、相手はさいごの生き残りをかけてますます対抗措置を強化し、身構える。際限のない軍拡競争の悪循環に陥り、双方もろとも破滅の坂道を転がり落ちていく。
「武力による威嚇又は武力の行使」によって国際紛争を解決するという手段。人類史上長きにわたって為政者に染みついて離れない、この悪習とも言うべき手段は、今や完全に破綻したのである。朝鮮半島をめぐって取り返しのつかなくなった今日の事態が、そのことを雄弁に物語っている。戦後一貫して北朝鮮を孤立させ、威嚇し、追い詰め、徹底して「いじめ」続け、ついにあのような国家体制をつくり出してしまったのは、一体誰だったのか。その重大な責任こそ、問われるべきである。
未来への決断 ― 何よりもまず民衆自身の主体性の確立を
今日の危機迫る緊迫状況が続けば続くほど、人々は目の前の不安に怯え、心を狭め、過去も将来も考える余裕すら失う。ひたすらその時その時の感情の赴くままに生きようとする刹那主義の罠にはまっていく。そして、未来への夢など、とうの昔に失せていく。つまり、民衆自らが長期的展望に立って、自らの社会のあり方を考える能力を失っていくのだ。
まさにこのことこそが、人間にとって、人類にとって、何よりも恐るべき問題なのである。肉体は生きながらえながらも、魂を抜かれ、夢を忘れた抜け殻同然の廃人と化す恐るべき事態に陥っていく。このままでは、人類は、まさに自らの内なる敵によって滅ぼされていくしかない。
人類史上稀に見る今日のこの最悪の事態を克服する道は、結局、民衆自らが今日のこの苦渋に満ちた現実から出発し、近代を根源的に超克する新たな未来への瑞々しい構想力を回復する以外にない。そして、未来を構想するこの新しい力によって、現実を足もとから着実に変えていくのである。それよりほかに道はない。かつての19世紀未来社会論に代わる、大地にしっかり根を下ろし、近代を超克する民衆自身の新たな21世紀の未来社会論が、今日ほど待たれる時代もないのではないか。
こうした時代の要請に応えて、人間同士がじかに会い、自由奔放に語り合い、切磋琢磨して互いに創造の力を高め合っていく場として、「21世紀この国と地域の未来を考える 自然(じねん)懇話会」(仮称)なるものを考えたい。
この「自然(じねん)懇話会」(略称)は、地域未来学に基礎を置き、21世紀の今日の現実にしっかり足を踏まえ、精神性豊かな草の根の未来社会論の構築に向かって、新たな一歩を踏み出すのである。
未来社会のあるべき理念と現実世界との絶えざる対話と葛藤を通して、研究と実践のより高次の段階へと展開する終わりのない認識の自律的自己運動の総体を、ここでは、世界史的にも稀有なる江戸中期の先駆的な思想家・安藤昌益に学び、敢えて「自然(じねん)」と呼ぶことにしよう。
この「自然(じねん)」の認識プロセスこそが本懇話会の真髄であり、従って、その発現たる自由奔放、そして何ものにも囚われない孤高の精神と、他者に対する寛容と共生の思想が、その核心となる。
今日、通信・情報ネットワークは急速な発達を遂げ、人間は自然から隔離され、バーチャルな世界に閉じ込められていく。パソコン、携帯電話、スマートフォン、タブレット端末等々の普及・応用は著しく、人々は人工的な空間の中で野性を失い、病的とも言える異常な発達を遂げていく。そして不思議なことに、人々はかえって人間不信に陥り、孤立を深めていく。こうした時代にあって、豊かな人間性を回復していく上でも、「自然(じねん)懇話会」(略称)の意義は、ますます大きくなっていくであろう。
ところで、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年)は、表紙の折り返しに、この本を総括して次のように記している。
資本主義固有の不確実性と投機性が露わになった今
大地から引き離され、根なし草同然となった近代の人間の生存形態
賃金労働者を根源的に問い直す。
強欲、冷酷無惨なグローバル市場に対峙し
近代を超克する抗市場免疫の新たな「菜園家族」を基礎に
素朴で、精神性豊かな自然(じねん)世界への壮大な回帰と止揚の道を切り拓く。
21世紀、この基本方向をどう実現していくのか。
本書はその具体的な道筋と手立てを提示する。
本「自然(じねん)懇話会」(略称)は、まずこの小著『菜園家族の思想』をたたき台に、この本の趣旨の主眼点をつまびらかにしつつ批判的に検討するとともに、近年出版された未来社会構想に関するその他の著作も逐次、比較研究し視野を広げながら、21世紀未来社会論の深化と充実の道を模索していくことになろう。
日本国憲法第九条、いのちの思想を現実の世界へ
1990年代初頭、第二次大戦後の世界を規定してきた米ソ二大陣営の対立による冷戦構造が崩壊し、アメリカ単独覇権体制が成立することになる。しかしそれも束の間、アメリカ超大国の相対的衰退傾向の中、その弛緩に乗ずるかのように、旧来の伝統的大国に加え、中国など新興大国が入り乱れる新たな地球規模での多元的覇権争奪の時代がはじまった。
21世紀型「新大国主義」の台頭とも言うべき歴史の新たな段階に突入し、戦争の危機迫るこの暗い世界にあって、日本国憲法の、なかんずく第九条の「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」の精神は、いよいよ燦然と輝き、私たちの行く手を照らしている。
この九条こそ、大国主義への誘惑を排し、他者に対する深い寛容の精神と、非同盟・中立、非武装・不戦の平和主義に徹した小国主義への道である。このいのちの思想を今日の現実世界において如何にして実現していくのか。その可能性をわが国の経済・社会のあり方、つまり、21世紀未来社会論の側面から探究したのが、先に触れた『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』である。
ここに提起された問題の核心は、ひとりわが国に限らず、海図なきこの時代、人生の不条理と生活苦に喘ぎ、夢と希望を失い、憎しみと暴力の連鎖に苦しむ世界のすべての人々にとって、避けることのできない焦眉の課題なのである。
小さなタンポポに託す未来への夢
今、私たちにもっとも欠けているものは、遠い未来に思いを馳せ、この国と地域の未来を考えることではなかったのか。そして、身近な友との出会いと、心を開いた自由な語らいではなかったのか。
土地土地の実情に合ったかたちで各地に芽を出す「自然(じねん)懇話会」(略称)は、初めは小っちゃな語らいの集いではあるが、それぞれが独自のやり方を編み出しながら、自らの力で育っていくにちがいない。
やがて、地域地域に生まれた「自然(じねん)懇話会」(略称)は、互いに情報を交換し合い、知恵と経験を共有しながら、色とりどりの個性豊かな花々を咲かせ、その輪を広げていくことであろう。これこそが「自然(じねん)」に基づく自律的自己運動の姿なのである。
そんな日がいつかやって来ることを願いつつ、私たち自身も遅ればせながら山あいのこの地で、思いを新たに、この辺境の地にふさわしい独自の「自然(じねん)懇話会タンポポ」なるものを編み出し、スタートさせたいと思う。
凍てつく土の中から芽を出したばかりのこのタンポポは、やがて小さな花を咲かせ、実を結ぶ。白い綿毛をつけた小っちゃな種は、風に乗って四方に飛んでいく。森を発し琵琶湖に注ぐ犬上川、芹川の川筋に沿って、里山の小道や野辺、あるいは町々の路地に落下し、芽を出し、黄色い可憐な花々を咲かせ、また実を結ぶのである。
度重なる暗雲に意気消沈しながらも、このタンポポに託す小さな夢は、やがて湖北の山野を駆けめぐり、止めどなく広がっていく。
核戦争の脅しに萎縮し、自分を見失ってはならない。主権簒奪者の思う壺である。
イギリス産業革命以来、連綿と続いてきた近代。この近代を根源から超克し、21世紀の新たな未来社会構想を探究すること。未来のあるべき姿を目指して、日々の自らの足元から確かな礎を一つひとつ積み上げ、何よりもまず、私たち自身の主体性を確立すること。これまで長い間、このことをすっかり忘れ、疎かにしてきたのではなかったのか。
長きにわたって放置してきたこの欠落を埋めることは、そう生易しいことではないが、この課題は、今日の私たちに残された緊急にして最大の宿題なのである。つまり、それは、何ものにも屈しない魂を取り戻すことであり、素朴で精神性豊かな、優しさに溢れる自然(じねん)世界への壮大な回帰と止揚(レボリユーシヨン)の道を歩みはじめることなのである。
NHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』が描く、高度経済成長期初頭の奥茨城と東北。家族を思い、職を求めて故郷を離れ、期待と不安を胸に、集団就職列車に乗って大都市東京をめざす、中学・高校卒業したてのまだ幼さを残す娘たちと息子たち。舞台は農村と大都会を交錯させながら、貧しくともひたむきに生きる時代の精神を丹念に描いていく。
そこには、生活の快適さから生まれる精神の脆弱ではなく、むしろ、生活のつらさから生まれる何ものにも屈しない精神とおおらかさが、人への優しさが、そして良い意味での自尊心がある。
確かにそこにはあった人々の心の良質の部分。それを回復することは、決して夢ではないのだと信じたい。
2017年6月4日
(字句加筆・訂正 2017年8月3日 ― 国民騙しの第3次安倍第3次改造内閣発足の日)
琵琶湖畔鈴鹿山中、里山研究庵Nomadにて
小貫 雅男
伊藤 恵子
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