長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」プロローグ(その2)
長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―
プロローグ (その2)
―身近な過去を振り返り、はるか彼方の「未来」を考える―
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長編連載「いのち輝く共生の大地」
プロローグ(その2)
(PDF:593KB、A4用紙10枚分)
迷走する新型コロナウイルス対策
「わずか1ヵ月半で流行をほぼ収束できた。日本モデルの力を示した」。新型コロナウイルスの緊急事態宣言を全国で解除した2020年5月25日、安倍晋三首相(当時)は、こう言い放って胸を張った。その後、根拠のない楽観ムードはいっそう強まる一方であった。
同年6月24日、西村康稔経済再生相は、専門家会議(座長 脇田隆字・国立感染症研究所長)を廃止し、感染防止と社会経済活動の両立を図る必要があるとして、感染症の専門家以外にも、経済、自治体関係者や、情報発信の専門家らを加え、第二波に備えるとした。特措法に基づき、政権の責任転嫁の装置とも言うべき新たな会議体「新型コロナウイルス感染症対策分科会」なるものを設置すると表明。これだけはなぜかそそくさと実行に移した。
世界規模で見れば、アメリカ、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ドイツなどEU諸国、ロシア、ブラジルをはじめとする中南米、インド、中東、アフリカなど、依然としてコロナが猛威を振るう国や地域が多く、感染増加ペースは減速どころか、加速していった。
こうした厳しい現実に目を伏せ、わが国の政財界の主導的上層部は、「経済を回し、新しい日常を取り戻す」を呪文のごとく繰り返し唱えつつ、国民には「新しい生活様式」をと自助努力のみを促し、性懲りもなく刹那的「体験型」消費形態なるものを取り戻し、何が何でも経済を「好転」させようとした。
「Go To キャンペーン」と称して、「Go To トラベル」、「Go To イート」、「Go To イベント」、「Go To 商店街」などと次々と繰り出し、コロナ以前の市場原理至上主義「拡大経済」、つまり人間の欲望を煽り、際限なく肥大化させ、経済格差、人間の分断と対立を助長する、かつてのあの非人道的で忌まわしい社会・経済システムにとにかく戻したいというのである。そして、その対価としての多大な最終的犠牲は、とどのつまり民衆につけ回すのである。
こうした中にあっても、人々は健気にも個々人のレベルの問題として、「三密」を避けること、手洗いやアルコール消毒の励行など、感染防止の数々の貴重な知恵と具体的な方法を学び、身につけた。
また、公衆衛生上の制度的問題としては、「感染検査体制」(唾液による簡易な方法を含むPCR検査、抗原・抗体検査、下水道中のウイルス検査等々)や「医療体制」(保健所、無症状感染者の隔離効果を伴う宿泊療養施設、感染症対応中核病院・感染症拠点病院、体外式膜型人工肺ECMO、ベッド数、医療従事者の拡充および待遇の抜本的改善等々)など、数々の重要な対策は確認されたものの、そのほとんどがこれからの課題として残されたままである。
こうしたいわば目前の緊急事態にどう対処し、感染拡大を防止し、収束させるかという課題については、国や地方自治体レベルにおいて早急に万全の対策に取りかからなければならないのは当然のことである。これらのことは、今回の新型コロナでの甚大な犠牲とむごい仕打ちからようやく学び取ることのできた貴重な教訓でもある。あの時の記憶を決して忘れてはならない。
ところが、わが国のみならず、トランプ前米大統領に顕著に見られたように、どこの国でも概してそうなのであるが、大なり小なり為政者は、感染拡大防止と経済活動の両立を図ると言いながら、結局、彼らの本音通り、その場凌ぎの性急な見通しのない経済重視策に陥っていく。果てには、多大な犠牲を民衆に押しつけてくるのである。
思えばほんの13年前、2011年3・11東日本大震災・福島原発苛酷事故の時も同じだった。エネルギーと資源の浪費を前提に築かれてきたそれまでの生産と生活のあり方、そして私たち自身の価値観が根底から揺るがされ、近代文明の大きな分水嶺に立たされたあの時もまた、放射能汚染によってかけがえのないふるさとから追われ、家族の離散を余儀なくされた被災地の多くの人々の癒やされぬ苦しみや悲しみを尻目に、1ヵ月も経つか経たないうちに、「過度な自粛は経済を停滞させ、企業活動を衰退させることにつながるので、被災地の支援にはならない」とか、「これまでのような物質的豊かさを追求するライフスタイルを反省する動きも出て来ているが、消費マインドを冷やして、経済を逆回転させてはならない」とか、如何にも偏狭な市場経済理論もどきを振りまわし、まことしやかに実に巧妙な手口で、震災前の「成長戦略」なるものの軌道に引き戻そうとした※1 。
そして、あの衝撃がまるでなかったかのように、原発の輸出と国内再稼働を復活させ、人々の意識もやがて「アベノミクス」の円安・株高、東京オリンピック招致に浮かれていった。
「Go To キャンペーン」に煽られ浮き足立つ様は、とどのつまり、また同じ繰り返しだったのではないか。パンデミックが猛威をふるった当初に見られた現代文明のあり方そのものを問う議論は、メディアからいつのまにか消えていった。
21世紀未来社会構想の不在、それがもたらす気候変動・パンデミック下の混迷
なぜそうなるのか。このことを突き詰めて考えていくと、気候変動およびコロナ危機克服のための、今日、真の意味での私たちの行動や実践を大きく阻み、狂わせている根本にある要因、あるいは障壁とも言うべきもの、――ある意味ではそれは、私たち自らがつくり出したものでもあるのだが――、それが一体、何に由来するものであるのかも、次第にはっきりしてくるであろう。
それは、今日の世界の、そして自らの社会の実態に適った、人々の生活実感からしても納得のいく、また信頼に足る国民共通の確かな目標となり、しかもそれが国民一人ひとりの日常普段の実践の指針となって、将来への生き甲斐にもつながるような、まさしく21世紀未来社会論の不在に大きな原因があることに気づくはずだ。
気候変動とパンデミックの脅威のもと、経済格差と民衆の分断と対立に苦しみ生きている圧倒的多数の生活者が、本当に心から共感し、納得できる未来への展望を見出せずに困惑していることと、気候変動と新型コロナウイルスのリスクの受け止め方をめぐる意見の混迷・対立とは、決して無関係ではない。
今はどんなに苦難の中にあっても、行き詰まったこの古い社会に代わる新たな社会への展望が説得力のあるものであり、明るいものであるならば、人々はそこに新たな希望を見出し、生活者として地域地域に根ざした独自の道を自ら主体的に切り開いていくに違いない。そして、新しい社会をめざす多様な模索そのものが、人々の豊かな創造力を呼び起こし、さらなる高次の実践へと促していく。こうした実践の過程そのものが、同時に感染を予防し抑制する、何よりも優れた抗体を自らの地域の内部に生み出していくのである。
それはつまり、感染リスクの重視か、経済リスクの重視かの二者択一の迷霧に舞い込むことなく、そうした後ろ向きで単純な思考論理をはるかに超えたところで、明日への希望を胸に次代の社会への道筋を見出していくことであり、まさにこのプロセスを通じてはじめて、これまでにはなかった新たな次元での民衆の地域創造、生活創造の具体的な実践がはじまるのである。
気候変動とパンデミックの脅威に拉(ひし)がれ、得体の知れない恐怖と不安の闇の中にあって、今もっとも求められているものは、21世紀にふさわしい新たな未来社会論に裏打ちされた未来への希望であり、そこから湧き出づる新しい時代への民衆の確かな意志であり、エネルギーであり、行動の喜びなのである。
仮にも民衆の21世紀未来社会論の内実そのものが創造性豊かなものであり、めざすべき未来の社会像が誰の目にも明確で、それが広く国民共通の認識となり、しかもそこに至る道筋、それは今もっとも肝心で必要とされているものなのであるが、それが具体的かつ信頼に足る確かなものであればあるほど、人々はそこに生きがいを感じ、多少の苦難は乗り越えていけるものだ。
新たな明るい目標を掲げ、高揚感にあふれる健全な世界には、特に現代の若者が陥りがちなあの特有の閉塞感などは微塵も見られない。これまでにはまったく考えられなかった可能性が開けてくる。
しかも、未来に開かれたこうした生活世界の中にあって、人々が誠心誠意、実直に働きかける具体的な対象が、今はどんなに小さなものに見えても、それが次代の確かな種子であり、芽であるならば、それは自ずから古い社会の殻を打ち破り、社会の体質そのものを根底から変えていく。
感染防止重視か経済重視かの単純な二者択一の狭間で揺れ動くことなく、新たな未来への展望のもとに、気候変動とパンデミックの脅威にもめげない、強靱で持続可能な新しい社会の創造へと立ち向かっていくであろう。
“生命系の未来社会論”を探る ―大地と人間の高次再融合
今回のパンデミックの猛威によって、奇しくも市場原理至上主義「拡大経済」社会、つまり資本主義そのものの脆弱性は一気に露呈したのであるが、18世紀イギリス産業革命以来、今日まで支配的であった成長モデルに代わる、新たな社会モデルを未だ見出せずに混迷している中でのパンデミックの襲来であったと言ってもいい。
それだけに、その痛手は計り知れないほど深く大きい。今日のわが国の、そして世界各国の民衆の苦難の遠因は、先にも述べたように、まさに民衆自身が共感し、信頼するに足る、自らの21世紀草の根未来社会論の不在にあると言っても言い過ぎではないであろう。
21世紀の世界が行き詰まる中、次々に生起する社会現象に目を奪われているうちに、いつしか大局を見失い、近視眼的思考に陥っていく。そして、事の本質が何であるのかも、分からなくなっていく。世界が混迷の中にあって見通しを失っている今だからこそなおのこと、私たちは一旦立ち止まり、視点を高みに移し、はるか彼方に広がる遠景を展望しつつ、人間社会を大自然界全体の中にしっかり位置づけることのできる巨視的思考に立ち戻ることが、きわめて大切になってきている。
その手がかり、つまり糸口として、スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 ―宇宙を貫く複雑系の法則―』(米沢登美子 監訳、日本経済新聞社、1999年)を核心となるべき理論として援用し、人間社会を自然界の中に位置づけ両者を包摂する、つまり自然観と社会観の分離を排し、両者合一の思想をすべての基礎に置く、生成・進化の「適応・調整」の普遍的原理の定立※2 を新たに試み、そのもとに今日のこの困難な問題を捉え直していきたいと思う。
そこで、特に強調しておきたいことは、新型コロナウイルス感染症の問題を総じて長期的展望のもとに深く考えていくためにも、角度を変え、視野を広げ、自然界と人間社会を貫く生成・進化を律する仮説としてのこの「適応・調整」の普遍的原理に基づき洞察すること、具体的には、人類史的視点、さらには地球史的視点から考えてみることの大切さとその意義の自覚である。
本連載の第2章「人間と『家族』、その奇跡の歴史の根源に迫る」、および第3章「『家族』の衰退と社会の根源的危機 ―『道具』の発達と連動して―」で触れるように、自然界の生成・進化の果てに、生物界の中でも格別に脳の発達を遂げ、特異な存在となった哺乳類としてのヒト、すなわち人間が、飽くなき欲望の営為の果てに、ついには深刻なパンデミックと気候変動を引き起こし、地球そのものを重篤な病に追い込んでいるというこの自覚と問題認識からの出発である。
21世紀の今、もっとも求められているものは、こうした時代要請に応えうる“生命系の未来社会論”とも言うべき新たな理論体系の構築なのである。
わが国の歴史に引き寄せて考えるならば、それはまさに人間の社会的生存形態の変革、つまりいわば近世への歴史的回帰と止揚によって、資本主義形成期直前の「近世農民」と資本主義の所産である「近代賃金労働者」との人格的一体融合を成し遂げることであり、その結果、新たに生まれてくる人間の社会的生存形態「菜園家族」を「地域」の基盤にしっかり据えて初めて可能となる社会そのものの変革、すなわち「菜園家族」社会構想に必然的に行き着くところのものなのである。
これは一見、いかにも大胆で粗野な思考と受け止められかねないかもしれないが、実は歴史を長期的、俯瞰的に見るならば、人間の社会的生存形態は、時代をそこまで遡り考え直さなければならないということ、つまり、資本主義発生の分岐点まで回帰し、さらにそこから新たな止揚へと向かわなければならないほど、21世紀の今日の私たちの社会の病は重篤に陥っているということなのである。
それは同時に、私たちはそれほどまでに重い課題と困難を背負わされているという自覚と覚悟が必要だということを意味している。まさにそこにこそ、今日の世界の混迷と苦難の原因の本質と真実が隠されていることに、やがて思い至るであろう。
権力奪取によって、上からの社会変革を強行するという性急で単純無謀な試み、それは、圧倒的多数である民衆を置き去りにして、民衆の主体性と創意性を圧殺することでもあるが、はるか古い時代から今日に至るまでどの時代をとってみても、基本的にはそうだったのである。
長きにわたる人類史上のこの悪弊をこの際、いよいよすっかり払拭しなければならない時に来ているのではないか。新型コロナウイルス・パンデミック、そして気候変動の事態は、この積年の宿題の解決を私たちに迫っているのである。
この問題は、資本主義の超克をめざした19世紀未来社会論においても、また、その系譜を引き継ぐ、あるいはそれを批判する立場からの現代のさまざまな未来社会の提起においても、多かれ少なかれ共通した課題なのではないか。
まさに21世紀の今日において、社会の基底を成す人間の社会的生存形態そのものの変革を何よりも重視し、それを何よりも優先・先行させ、民衆自身の意識の中に変革主体の自律的形成が促される、そのような社会の新たなメカニズムのあり方を探究し、創造しようとする姿勢と思考の希薄さ、ないしは欠如に、19世紀以来の未来社会論の限界を見るのである。
そのことは、ソ連をはじめとする旧社会主義体制の世界史的経験からも、また、現代世界に現に進行してる中国「社会主義」の由々しき実態からしても、一国内的には中央集権的官僚体制の跳梁・強大化を、国際的には大国主義・覇権主義の横暴を許し、それがついには、民衆の主体性と創意性の発揚を圧殺する結果に終わらざるを得ない事実を見ても、明らかであろう。
こうした世界史的経験をもふまえ、21世紀未来社会のあり方を、何よりもまず社会の基底を成す人間の社会的生存形態の変革から出発し、根なし草同然となった現代賃金労働者(サラリーマン)家族と生きるに最低限必要な生産手段・生活手段との「再結合」によって、「労」・「農」の人格一体融合を果たし、今日の脆弱な家族を大地に根ざした抗市場免疫に優れた家族形態に再生し、新たに生まれるこの「菜園家族」を基盤に、衰弱しきった「地域」を自然循環型共生の内実へと熟成させていく。
こうした長きにわたる変革のプロセスを通じて、人口の圧倒的多数を占める民衆自体が鍛錬され、常に社会変革の主体となり得るような、そんな社会を展望し考えていきたい。
少なくとも生命起源のはるか38億年の彼方まで遡り、地球史、人類史の長いスパンの中で今日の現実を捉え直し、考え直さなければならないほど、今日の私たちの社会は複雑怪奇であるばかりか、実に残酷、惨めな時代に迷い込み、その落とし子と成り果てて苦悶しているのだ。
38億年という気の遠くなるほど途方もなく長い時間をかけて生成・進化を遂げてきた、奇跡としか言いようのないこのいのちの惑星の生態系のすべてを、一哺乳類にすぎない人間どもの際限のない欲望の我がままによって、私たちのまさしくこの時代に、一瞬のうちに失う罪をあがなうことができるとでも言うのであろうか。この贖罪、そしてかけがえのないすべてのものを失う寂寥感に、果たして人々は耐えうるのであろうか。
生きとし生けるものが共に手を携えて生きる至福の世界の到来を願い、この“生命系の未来社会論”具現化の道としての「菜園家族」社会構想に最後の一縷の望みを託したいと思う。
この新・長編連載の具体的なすすめ方になるが、ここで述べてきた現状認識と問題意識に基づき、気候変動問題に加え、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争、ガザにおける凄惨なジェノサイドの複合危機が鋭い形で浮き彫りにした、現代社会の脆弱性や決定的な欠陥を絶えず念頭に置きながら、あるべき21世紀未来社会とそこに至る具体的道筋を考えていくことにしたい。
今日私たちに突きつけられた全人類的、全世界的なこの難題は、途方もなく大きく、むろん生易しい努力で解決できるものではないが、こうすることによってはじめて、気候変動と新型コロナウイルス、ウクライナ戦争等々の問題は、自ずから統一的、全一体的(ホリスティック)なものとして捉えられ、次第に、だが着実に、その道は自ずから開かれていくに違いない。
同時に、この長きにわたる試行錯誤の実践の過程を通じて、私たちのまさに草の根の21世紀未来社会論としての“生命系の未来社会論”もいっそう深められ、豊かなものに鍛錬されていくのではないかと願っている。
深くかつ遠く思はん天地の
中の小さき星に生れて
物みなの底に一つの法(のり)ありと
日にけに深く思ひ入りつゝ
科学は何が果して可能であるかを教えてくれる。
これこそは未来へ向かって開かれた唯一の窓である。
湯川秀樹『目に見えないもの』(1946年)※3 より
民衆の新たな生活世界を築く ―わが国の、世界の腐り切った特権的「政治」を乗り超えて
21世紀における
資本主義超克の
人間復活のレボリューション。
根なし草同然の賃金労働者と
生産手段との「再結合」による
「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた
新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を基軸に展開する
民衆の生活世界の構築。
菜園家族レボリューション。
広大無窮の大自然界を母胎に
自然界の生成・進化を貫く「適応・調整」(=「自己組織化」)※4 の原理に則り
生成・進化を歩みはじめたはずの人間社会。
はるか始原におけるヒトの脳髄の異常な発達を契機に
いつしかその原理から逸脱していく。
その決定的乖離の行き着く先は
人間社会が大自然界のただ中にありながら
あたかも悪性の癌細胞の如く
増殖と転移を限りなく繰り返し
人間どもの飽くなき欲望の赴くままに
生命の惑星、地球を丸ごと
容赦なく蝕み尽くしていく
宿命的とも言うべき結末なのだ。
自然界と人間社会の生成・進化を律する
原理レベルでのこの乖離を抑制し
両者合一の普遍的原理に
限りなく収斂すること。
この壮大な人類的課題に立ち向かう
「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の
長きにわたる展開過程。
まさにこれこそが
民衆の主体形成の確かな基盤創出にとって
不可欠のプロセスであり
現実の社会構造のさまざまなレベルにおける
多重重層的アソシエーション※5 創出の
生きたプロセスでもあるのだ。
このプロセスのわが国における具現化である
民衆主体の自律的“菜園家族レボリューション”こそが
貧困と格差と戦争のない
大地に根ざした
いのち輝く素朴で精神性豊かな
民衆の生活世界を築く。
時代の大転換期にあって
未来に対する傲慢と不安が錯綜する
混迷の今日においては尚のこと
宿命を背負った人間社会への
この新たな問いかけが
抽象レベルでの概念操作を延々と繰り返し
訓詁学的手法の隘路に陥りがちな現状を
自ずから克服し
現実世界に広がる豊かな具体的事実からの
帰納を重視する
革新的実証研究の復権を促す。
それはやがて
18世紀イギリス産業革命の渦中から現れた
19世紀未来社会論を止揚し
新たな時代の要請に応えうる
高次の21世紀未来社会論の構築を
可能にするのではないか。
まさにこれこそが“生命系の未来社会論”の真髄なのである。
わが国の今日の腐り切った「政治」の現実
ウクライナ戦争が如実に示す
危機迫る世界戦争の本質も
こうした新たな世界認識の構築と鍛錬によって
より深く捉えることが可能になるのではないか。
そして、何よりも今日の混沌の中から
めざすべき21世紀の未来像が
より鮮明に浮かび上がってくるであろう。
本長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の主眼
かつての19世紀未来社会論には、当時の科学研究上の時代的制約から、当然のことながら、自然界の生成・進化の「適応・調整」の原理(=「自己組織化」)を、自然界と人間社会を貫く生成・進化の普遍的原理に措定し、その普遍的原理を基軸に据え、未来社会を構想する発想は、残念ながらなかったのである。
今日、「自己組織化」の理論は、自然科学研究の分野においては広く定着しているにも関わらず、その原理を自然界と人間社会を貫く統一的な普遍原理に措定して、19世紀未来社会論に敢然と対峙し、21世紀未来社会論を理念および具体的方法論にわたって全一体的(ホリスティック)に構想する例は、管見の限り見当たらない。
こうした今日の未来社会論の現状を根源的に是正すべく試みたのが、この長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の内実であり、21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道としての「菜園家族」社会構想に込められた理念と具体的、現実的方法論である。
自然界と人間社会の生成・進化を貫く「適応・調整」の普遍的原理(=「自己組織化」)、およびそこから自ずと導き出される“地域生態学”※6 の理念と方法を二つの大切な基軸に据えて、この長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」を展開していく。
特にこの二つの基軸、つまり「適応・調整」の普遍的原理(=「自己組織化」)と“地域生態学”の理念と方法に刮目して読み通していただければ幸いである。
※1 小貫雅男・伊藤恵子『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年)のプロローグ「東日本大震災から希望の明日へ」および第六章「高度経済成長の延長線上に起こった3・11の惨禍」で詳述。
※2 本連載の第1章3節「今こそ近代の思考の枠組み(パラダイム)を転換する ―“生命系の未来社会論”の措定―」、およびエピローグ「高次自然社会への道」の2節「人類史を貫く『否定の否定』の弁証法」で後述。
※3 同書はその後、1976年に講談社学術文庫より再出版された。
※4 本連載の第1章3節およびエピローグ2節で後述。
※5 本連載の第6章6節「草の根民主主義熟成の土壌、地域協同組織体『なりわいとも』の形成過程」、および第8章「『匠商家族』と地方中核都市の形成」で後述。
※6 本連載の第5章2節「21世紀の未来社会論、そのパラダイムと方法論の革新」で後述。
◆「いのち輝く共生の大地」プロローグ(その2)の引用・参考文献◆
小貫雅男・伊藤恵子『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』御茶の水書房、2013年
プロローグ 東日本大震災から希望の明日へ
第六章 高度経済成長の延長線上に起こった3・11の惨禍
スチュアート・カウフマン 著、米沢登美子 監訳『自己組織化と進化の論理 ―宇宙を貫く複雑系の法則―』日本経済新聞社、1999年
原典は、Kauffman,Stuart “AT HOME IN THE UNIVERSE:The Search for Laws of Self-Organization and Complexity”,Oxford University Press,Inc.,1995
湯川秀樹『目に見えないもの』講談社学術文庫、1976年
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★ 長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の≪目次一覧≫は、下記リンクのページをご覧ください。
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2024年9月6日
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