『菜園家族レボリューション』
題名 | 菜園家族レボリューション |
著者 | 小貫雅男 |
出版社 | 社会思想社・現代教養文庫 |
発行年月 | 2001年11月 |
判型・ページ | 文庫版、208ページ |
定価 | 本体560円+税 |
ISBN | 9784390116459 ※絶版につき、ご注文・お問い合わせは、里山研究庵Nomadまで。 |
市場原理至上主義アメリカ型「拡大経済社会」から、「菜園家族」基調のCFP複合社会へ。巨大化の道の弊害と行き詰まりが浮き彫りになった今、その評価を問いなおし、家族小経営の持つ優れた側面を再考する。
人間を大地から引き離し、虚構の世界へとますます追いやる市場競争至上主義「拡大経済」に、果して未来はあるのだろうか。ここに提起する“大地に生きる”人間復活の唯一残されたこの道に、“菜園家族レボリューション”の思いを込める。
本書の「プロローグ」より
モンゴル遊牧社会の研究をはじめてから、いつのまにか長い歳月が過ぎてしまいました。そ の間、草原や山岳・砂漠の遊牧民家族と共に生活し、一年あるいは二年という長期の住込み 調査や、短期のフィールド調査をまじえながら、日本とモンゴルの間を何回も行き来すること になりました。
ここに提起される日本社会についての未来構想は、この両極を行き来しながら、風土も暮ら しも価値観も、日本とは対極にあるモンゴルから日本を見る視点、そして、そこから生ずる何 とも言いようのない不協和音を絶えず気にしつつ、長年考えてきたことが下敷きになっている のかもしれません。
モンゴルの遊牧民からすれば、日本は「輸入してまで食べ残す不思議な国ニッポン」に映る ことでしょう。本当は憤りさえ覚えているのかもしれません。高飛車に「あんたたちは、経済と いうものを分かっちゃいないんだよね」などと言って、世事に擦れた感覚に、薄汚れた常識を 振り回し、せせら笑ってすませる場合ではないのです。
話は前後しますが、こうした日本とモンゴルの間の長年の行き来の中でも、とくに1992年秋からの一年間、山岳・砂漠の村ツェルゲルでの生活は、日本社会のこの未来構想を考 える上で、貴重な体験になっています。
本書の「あとがき」より
……“菜園家族レボリューション”。これを文字どおりに解釈すれば、菜園家族が主体となる 革命のことを意味しているのかもしれません。しかし、“レボリューション”には、自然と人間界 を貫く、もっと深遠な哲理が秘められているように思えるのです。それは、もともと、旋回であ り、回転でありますが、天体の公転でもあり、季節の循環でもあるのです。そして何よりも、原 点への回帰を想起させるに足る、壮大な動きが感じとれるのです。イエス・キリストにせよ、 ブッダにせよ、わが国近世の希有な思想家安藤昌益にせよ、あるいはルネサンスやフランス 革命にしても、レボリューションの名に値するものは、現状の否定による、原初への回帰の情 熱によって突き動かされたものなのです。現状の否定による、より高次な段階への止揚(アウ フヘーベン)と回帰。それはまさに、「否定の否定」の弁証法なのです。現代工業社会の廃墟 の中から、それ自身の否定によって、田園の牧歌的情景への回帰と人間復活の夢を、こ の“菜園家族レボリューション”に託して、結びにかえたいと思います。
目次
プロローグ
第一章 閉塞の時代―「競争」の果てに
- 「拡大系の社会」と閉塞状況
- 市場原理と家族
- 「虚構の世界」
- 生きる原型
第二章 「菜園家族」の構想―週休五日制による
- 三世代「菜園家族」
- 新しいタイプの“複合社会”
- 「菜園家族」可能性
- 主体性の回復と倫理
- 予想される困難
- 家族小経営の生命力
第三章 大地に明日を描く
- ふるさとー土の匂い、人の温もり
- “心が育つ”
- 理想を地でゆく
- 家族小経営の歴史性
第四章 ふたたび「菜園家族」構想について
- 二十一世紀、人間復活の時代
- 『四季・遊牧』の現代性
- 問題は根深い
- 大地に明日を描く
- 閉鎖からの脱出
- 危機の中のジレンマ
- 誤りなき時代認識を
- 「構想」の可能性と実効性
- 誰のための、誰による改革なのか
- グローバリゼーション下の選択
- 二十一世紀の“暮らしのかたち”を求めて
- 里山研究庵
補章 『四季・遊牧ーツェルゲルの人々』をめぐって
- 『四季・遊牧ーツェルゲルの人々』について
- 作品のあらすじと構成(伊藤恵子)
- 解説ー独自の世界にひたる
- 新しい鑑賞のスタイルの創造をめざして
- “お弁当二つの上映会”
- 『四季・山村ー朽木谷の人々』の制作
- 辺境からの視点
- 異郷の涙
- 究極のアウトドア
- いのちの初夜
- どぜう
- 北国の春
- 早春の賦
エピローグ
文庫版へのあとがき
解説(伊藤恵子)
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