長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」の総括にかえて

 

  長編連載 の終了にあたり、その総括にかえて、後述の「近代(資本主義の時代)を超克する高次国民運動への根源的転換に向けて」を8項目にわたって掲載します。
 つまりそれは、―「地域」と「労働」の私たち自身の足もとから築く “21世紀、高次国民運動” への根源的転換―をめざすものです。
 2025年、早春を迎え、これを骨子に、あまたの英知に学び、さらなる目標に向かって努めていきたいと思います。

 長編連載の≪総括にかえて≫に先立ち、まずは長編連載そのものを振り返り、◆長編連載の核心的根幹◆を簡潔に確認することからはじめたいと思います。

 ところで、かつての19世紀未来社会論には、当時の科学研究上の時代的制約から、当然のことながら、大自然界の生成・進化の「適応・調整」の原理(=「自己組織化」)を、自然界と人間社会両者を貫く生成・進化の普遍的原理に止揚し、その普遍的原理を基軸に、未来社会を構想する発想は、残念ながらなかったといってもいい。

 今日、「自己組織化」の理論は、とくに自然科学研究の分野においては広く定着しているにも関わらず、その原理を自然界と人間社会両者を貫く全一体的(ホリスティツク)な普遍的原理に措定し、19世紀未来社会論を敢然と止揚し、21世紀未来社会論を理念および具体的方法論にわたって構想する例は、管見の限り見当たらない。

 こうした今日の未来社会論の現状を根源的に是正すべく試みたのが、この 長編連載 「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の内実であり、21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道としての「菜園家族」未来社会構想に込められた理念と具体的方法論なのである。

 大自然界と人間社会両者の生成・進化を貫く「適応・調整」の普遍的原理(=「自己組織化」)、およびそこから自ずと導き出される“地域生態学”的方法論を二つの大切な基軸にして、この長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」は展開されている。

 特に、大自然界の生成・進化の原理(=「自己組織化」)、および地域生態学的基軸方法論、これら二つの論点に刮目して、再度、本連載を読み通していただければ幸いである。

◆長編連載の核心的根幹◆

米中露「三超大国」を基軸に
先進資本主義諸国入り乱れての
醜い多元的覇権抗争の時代。

  超大国、大国いずれの国においても
  国民主権を僭称する
  一握りの政治的権力者は
  分断と対立と憎しみを煽り
  民衆に
  民衆同士の凄惨な殺し合いを強制する。

今や世界は生命を蔑ろにして恥じない
倫理敗北の時代に突入している。

  今こそ
  自然観と社会観の分離を排し
  大自然界の生成・進化を貫く
  「適応・調整」(=「自己組織化」)の原理を
  両者統一の生成・進化の普遍的原理に止揚し
  社会変革のすべての基礎におく。

近代と前近代の
「労」「農」人格一体融合の
抗市場免疫に優れた
新たな人間の社会的生存形態
「菜園家族」を基礎単位に構築される
21世紀の未来社会構想。

   “生命系の未来社会論” 具現化の道としての
  この「菜園家族」未来社会構想の根底には
  人々の心に脈々と受け継がれてきた
  大地への回帰と止揚(レボリューション)という
  民衆の揺るぎない歴史思想の水脈が
  深く静かに息づいている。

まさにこの民衆思想が
冷酷無惨なグローバル市場に対峙し
大地に根ざした
素朴で精神性豊かな生活世界への
新たな局面を切り拓く。

  世界は変わる
  人が大地に生きる限り。

 人間復活の高次自然社会を展望するこの “生命系の未来社会論” の核心は、とどのつまり、21世紀の今日の現実から出発して、脱資本主義に至る長期にわたるプロセスのいわば中間項に、近代と前近代の「労」「農」一体融合の抗市場免疫に優れた社会的生存形態「菜園家族」を基調とするCFP複合社会 の生成過程を必要不可欠の一時代として措定し、位置づけていることにある。

 まさにこの点において、「菜園家族」未来社会構想は、19世紀以来、人類が連綿として探究し続けてきたこれまでの未来社会論に対して、あらためて再考を迫るものになるであろう。
 まさしくそれは、19世紀マルクス未来社会論アウフヘーベンの肝心かなめの鍵であり、今日社会の閉塞・混迷自体をも打開する、希望と創意あふれる明日への道でもあるのです。

※ 資本主義セクターC(Capitalism)と、家族小経営セクターF(Family)と、公共的セクターP(Public)の3つのセクターから成る複合社会。

― 長編連載の≪総括にかえて≫ ―
近代(資本主義の時代)を超克する
高次国民運動への根源的転換に向けて

近代巨大建造物は
まさしく音を立て
今や腐蝕と崩落の目前にある。

 欺瞞に充ち満ちた
 「選挙」の卑小な枠組みに埋没し
 権力の術中に陥ることなく
 21世紀の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を土台に
 大地に根ざした、いのち輝く民衆主体の
 高次国民運動への根源的大転換へ。

◆ こちらからダウンロードできます。
長編連載「いのち輝く共生の大地」
総括にかえて
(PDF:822KB、A4用紙21枚分)

 ―― 目 次(8項目) ――

(1)民衆の生活世界を自らの足元から築く
   ―腐り切ったわが国の「政治」を乗り越えて―

(2)21世紀こそ草の根の変革主体の構築を
   ―まことの民主主義の復権と「地域」と「労働」の再生―

   「お任せ民主主義」を社会の根っこから問い直す
   身近な語らいの場から、未来への瑞々しい構想力が漲(みなぎ)る

(3)労働組合運動の驚くべき衰退、そこから見えてくるもの

(4)21世紀の労働運動と私たち自身のライフスタイル ―「菜園家族」の新しい風を―

(5)「菜園家族」型ワークシェアリングと21世紀労働運動の革新

(6)多彩で自由な人間活動の「土づくり」
   ―次代への長期展望に立った
     国民的運動への根源的大転換に向けて―

(7)「お任せ民主主義」を排し、何よりも自らの主体性の確立を
   ―そこにこそ人間としてまことの生きる喜びがある―

(8)身近な郷土の「点検・調査・立案」の連続らせん円環運動から
   “21世紀の未来”が見えてくる

――― ◇ ◇ ―――


―メモランダム風に―
以下8項目

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」エピローグ(その2)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

エピローグ ―高次自然社会への道― (その2)
 ~19世紀未来社会論のアウフヘーベン
  その展開のメカニズムと世界史的意義~

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
エピローグ(その2)
(PDF:844KB、A4用紙18枚分)

朝日が昇る(横に細長くトリミング)

4.夜明けを告げる伝統と革新の「東アジア世界」
――今やわが国のみならず、東アジアの民衆にとって
  自己の主体性の確立は、避けられない共通の急務となっている――

現代中国の女性作家・梁鴻(リアン・ホン)の作品が投げかけるもの
 いま世界は、AI(人工知能)技術の世界的な開発競争に火がついた。
 世界中の巨大企業が自動運転や人型ロボットの開発、ビッグデータの活用などの先陣争いにしのぎを削り、いっそうの人減らし(合理化)の手段としてAIの応用に必死である。軍事産業は、無人戦闘機や無人戦車などの殺人兵器の開発に余念がない。

 今日、人口13億9000万人(2017年現在)を擁する巨大中国は、改革開放後のわずか40年で大変貌を遂げた。
 就業者構造から見れば、2017年の第一次、第二次、第三次産業部門の就業者の比重は、27.0%、28.1%、44.9%である。国有部門就業者は1億人超、私営企業(従業員8人以上)1億7999万人、個人企業(従業員7人まで)1億2862万人である。小営業部門である私営企業と個人企業の就業者は合計3億861万人、これに農民を加えれば、就業者の約65%が小営業部門で働いていることになる。
 栄華の陰で、農民工(長期出稼ぎ農民)総数2億8700万人(うち外地農民工1億7000万人)の群れが蠢(うごめ)いている。※1

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」エピローグ(その1)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

エピローグ ―高次自然社会への道― (その1)
 ~19世紀未来社会論のアウフヘーベン
  その展開のメカニズムと世界史的意義~

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
エピローグ(その1)
(PDF:776KB、A4用紙20枚分)

オリオン座大星雲

1.CFP複合社会から自然循環型共生社会(FP複合社会)を経て高次自然社会へ

1) 1.CFP複合社会から自然循環型共生社会(FP複合社会)を経て高次自然社会へ
 この世界に、そしてこの宇宙に存在するすべては、絶えず変化の過程にある。それはむしろ、変化、すなわち運動そのものが存在である、と言ってもいいのかもしれない。
 21世紀、生命系の未来社会形成の初期段階で、決定的に重要な役割を担う「労」「農」人格一体融合の抗市場免疫に優れた人間の社会的生存形態「菜園家族」を基調とするCFP複合社会も、決してその例外ではない。
 ここでは、CFP複合社会の展開過程を、まず、資本主義セクターC(Capitalism)、家族小経営セクターF(Family)、公共的セクターP(Public)の3つのセクター間の相互作用に注目しながら見ていきたい。そして、その側面から、人間の労働とは一体何なのかを問いつつ、その未来のあるべき姿についても同時に考えることにする。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第13章(その4)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第13章
「菜園家族的平和主義」の構築(その4)
 
―いのちの思想を現実の世界へ―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第13章(その4)
(PDF:750KB、A4用紙13枚分)

雲から顔を覗かせる太陽(銅版画調・カラー)

日米軍事同盟のもと
いつまでもアメリカの権力に追従し
東アジアの民衆に背を向け
この地域世界に
撹乱をもたらしている場合ではないのである。
 今こそ
 自らの「菜園家族的平和主義」の理念を高く掲げ
 いかなる軍事同盟にも加担しない
 非武装・不戦、非同盟・中立の
 この道の選択を
 いよいよ決断する時に来ているのではないか。

5.東アジア地域世界に宿命的に集中胚胎するグローバル危機の震源

ライオンとドラゴン(銅版画調・モノクロ)

あまりにも片寄った情報の氾濫の中で考える ―朝鮮半島情勢をめぐって
 これまで超大国アメリカをはじめ、日本など先進資本主義諸国は、きまって仲間同士徒党を組み、「テロとの戦い」とか「核不拡散」とかを口実に、特定の国を仮想敵国に仕立て、対立と敵愾心を煽ってきた。
 なかんずく極東においては、長きにわたって、米韓合同軍事演習が大々的に展開されてきた。と同時に、アメリカとそれに追従する日本の権力的為政者は、口を揃えて武力威嚇の本音とその本質を眩(くら)ます欺瞞の常套句「抑止力」とか、「対話と圧力」などと呪文のように繰り返し、自らは日米軍事同盟のもと、日本国憲法第九条をかなぐり捨て、軍事力を際限なく強化していく。日米合同軍事訓練を強行し、果てには「自衛のため」だと、敵基地先制攻撃をも辞さないと威嚇する。

 緊張を高めてきたのは、果たして北朝鮮の側だけなのか。あるいは、中国側だけなのか。
 わが国における情報は、あまりにも一方的で、片寄りすぎているのではないか。
 軍部主導の大本営発表を鵜呑みに、国民こぞって大戦へとのめり込んでいったかつての記憶が、今鮮やかに甦ってくる。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第13章(その3)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第13章
「菜園家族的平和主義」の構築(その3)
 
―いのちの思想を現実の世界へ―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第13章(その3)
(PDF:745KB、A4用紙12枚分)

4.戦争の本質は国家権力による民衆同士の殺し合いである
 ―どんな理由があろうとも、戦争は人間冒涜の究極の大罪―

 気候変動、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争、ガザにおけるジェノサイドと、めまぐるしく同時多発する惨禍。この世界的複合危機、混迷の時代にあって、世論はますます近視眼的で狭隘な視野に陥っていく。
 今一旦、時間と空間を広げ、少なくとも冷戦後の歴史に視座を据え、そこから今日の時代状況とこの複合的危機の性格を確認しておく必要があるのではないか。

 国民の戦争と平和に対する考え方が急速に後退、麻痺する中、この機に乗じて、新聞・テレビなどマスメディアに次々に登場する「軍事専門家」と称する評論家のゲーム感覚まがいの生命軽視、人間冒涜とも言える「戦争俗論」が横行、罷り通る今、わが身を見つめ直すためにも、19世紀ロシア文学を代表する文豪トルストイが『イワンのばか』(1885年)に込めた人間と社会への深い思想、そして『俘虜記』(1948年)の作家大岡昇平が自らの実体験から深めた現代戦争と人間への透徹した思索に今一度立ち返って、考えてみることが大切ではないだろうか。
 少し長くなるが、以下の4つの項目に沿って話を進めたいと思う。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第13章(その2)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第13章
「菜園家族的平和主義」の構築(その2)
 
―いのちの思想を現実の世界へ―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第13章(その2)
(PDF:620KB、A4用紙8枚分)

夏の銀河 trim3

どんな理由があろうとも
戦争には決して組しない。
これが
あまりにも凄惨な犠牲の末に
やっと辿り着いた
私たちの結論であり
未来への希望の光ではなかったのか。

3.非同盟・中立の自然循環型共生の暮らしと平和の国づくり

 嘆かわしいことに、今日の世界で起きている事態は、巨額の軍事費を費やし、最新の科学技術の粋を凝らしてつくり上げた、政・官・財・軍・学の巨大な国家的暴力機構から繰り出す超大国の恐るべき軍事力と、それにひきかえ、自己のいのちと他者のいのちを犠牲にすることによってしか、理不尽な抑圧と収奪に対する怒りを表し、解決する術を見出すことができないところにまで追い詰められた「弱者の暴力」との連鎖なのである。

地べたに伏す鹿(銅版画調・モノクロ)

 かつてガンジーが、インドの多くの民衆とともに「弱者」の側から示した精神の高みからすれば、大国の圧倒的に強大な軍事力、すなわち暴力によって「弱者の暴力」を制圧、殲滅し、暴力の連鎖をとどめようとすることが、いかに愚かで恥ずべきことなのかをまず自覚すべきである。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第13章(その1)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第13章
「菜園家族的平和主義」の構築(その1)
 
―いのちの思想を現実の世界へ―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第13章(その1)
(PDF:734KB、A4用紙12枚分)

”原爆を許すまじ”

ー 孤立や差別に苦しむ被害者に、そして
日本と世界のひしがれしすべての人々に
考え、行動する勇気を与えつづけた歌 ー

雲から顔を覗かせる太陽(銅版画調・カラー)

 核兵器の非人道性を語り継ぎ、核廃絶の必要性を唱えてきた原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、昨年12月10日、ノーベル平和賞を受賞した。
ノルウェーのオスロ市庁舎での授賞式で代表委員の田中煕巳さん(92)は、講演に立った。渡航の2週間ほど前から体調を崩し、強い圧迫感を感じながら原稿を書き上げた。
「核兵器の保有で戦争を抑止できると信じる人々がいる今の世界に、限りないくやしさと憤りを覚えます」と投げかけた。
そして、ご自身の人生について語りはじめた。
「私は長崎原爆の被害者の一人です」
中学一年生だった1945年8月9日、長崎の自宅で原爆に遭った。母と兄、妹の4人と暮らしていた。
みな無事だった一方、爆心近くに住む親族は違った。
「一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪った」
祖父は骨が見えるほど全身に大やけどを負い伯母やいとこは炭のように真っ黒になって転がっていた。
「たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」
 生き残った被害者たちの苦悩は続いた身体に残る大やけどの痕、放射線の影響による健康不良、愛する人を失った悲しみ、、、。田中さんの通う学校には、髪の抜けた頭を布で隠して通学する女子学生が、突然亡くなる同級生がいた。
「占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の十年余を孤独と病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました」
 ビキニ環礁での米国の水爆実験に日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員が被曝し揺れ動いた70年前、浅田石二作詞“原爆を許すまじ”が反核運動を奮い立たせる。広島・長崎の被爆者は悲しみと怒りを胸に歌い、人々も口ずさんで全国へ広がっていった。

故郷の街やかれ
身より骨埋めし焼け土の
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの街に~

 その2年後、1956年に日本被団協が結成された。
 孤立や差別に苦しむ被爆者が団結し、核廃絶を訴える声を一つにするのを支える。ノーベル平和賞の授賞式に臨んだ田中煕巳さんも「団歌といってもいい」と感謝する。
 待望の受賞が薄れゆく戦時の記憶を呼び覚まし、日本そして世界中で考え、行動する契機になればと願う。戦後80年へと伝えたい。
「いつの時代も、戦争による死者のことが忘れられた時に新しい戦争が始まる」と。

――― ◇ ◇ ―――

人間の頭(銅版画調・カラー)

人は誰しも
決して避けることのできない
死という宿命を背負いながらも
懸命に生きている。
 そもそも人間とは
 不憫としか言いようのない
 不確かな存在ではなかったのか。
だからこそなおのこと
 人は
 同じ悲哀を共有する同胞(きょうだい)として
 せめても他者に
 とことん寛容でありたいと
 願うのである。

今や常態化した
権力者による
「マッチポンプ」式の卑劣な応酬。
 だが、これだけは決して忘れてはならない
 戦争とは、結局、どんな理由があろうとも
 民衆に
 民衆同士の殺し合いを強いる
 国家権力による
 極悪非道の最大の犯罪そのものなのだ。

1.いのち軽視、いのち侮辱の「戦争俗論」の跳梁跋扈を憂える
 ―卑劣な企み「マッチポンプ」の繰り返し―

立ち上がって警戒するウサギ(銅版画調・モノクロ)

憎しみと暴力の坩堝(るつぼ)と化した世界 ―世界の構造的不条理への反旗
 今から11年前の2013年1月16日、はるか地の果てアルジェリアのサハラ砂漠の天然ガス施設で突如発生した人質事件は、わずか数日のうちに、先進資本主義大国および現地政府軍の強引な武力制圧によって、凄惨な結末に終わった。

 こうした中、同年1月28日、安倍晋三首相(当時)は、衆参両院の本会議で第二次安倍内閣発足後、初めての所信表明演説を行った。
 演説の冒頭、アルジェリア人質事件に触れ、「世界の最前線で活躍する、何の罪もない日本人が犠牲となったことは、痛恨の極みだ」と強調。「卑劣なテロ行為は、決して許されるものではなく、断固として非難する」とし、「国際社会と連携し、テロと闘い続ける」と声高に叫び胸を張った。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第12章(その2)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第12章
 「菜園家族」を土台に築く近代超克の先進福祉大国(その2)
 
―高次の新たな社会保障制度の探究―

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第12章(その2)
(PDF:713KB、A4用紙13枚分)

花束

4.近代超克の円熟した先進福祉大国への可能性

 社会保障の財源としての税については、これまた社会のあり方やその性格が変われば、当然のことながら変化していく。
 税は「富の再分配」の装置でもある。支配的な「富の財源」が土地であれば地租が、そして資本主義工業社会であれば、第一次産業や企業での生産労働、そして企業の営業活動が「富の源泉」となり、所得税、法人税が税収の主要部分を占める。そして消費が社会の全面に現れてくると、消費税が注目されてくる。さらに「ストック」が顕在化してくると、環境ないしは自然という究極の「富の源泉」に目が向けられてくる。固定資産税や環境税である。

フクロウ

 このように考えてくると、賃金労働者と生産手段(自足限度の小農地、生産用具、家屋など)との「再結合」によって創出される、「労」「農」人格一体融合の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を基調とするCFP複合社会においては、税制のあり方は、この社会の客観的性格および目指すべき理念に基づいて、「干からびた細胞」同然の現代賃金労働者(サラリーマン)家族を基盤に成り立つ資本主義社会とは、根本的に違ってくるのは当然であろう。
 CFP複合社会の資本主義セクターC内の企業への合理的かつ適切な課税、企業の莫大な内部留保への課税強化、株式・金融取引への大幅な累進課税等々によって、財源は飛躍的に強化・改善されていくであろう。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第12章(その1)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第12章
 「菜園家族」を土台に築く近代超克の先進福祉大国(その1)
 
―高次の新たな社会保障制度の探究―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第12章(その1)
(PDF:638KB、A4用紙9枚分)

羽ばたく女性像(銅版画調・モノクロ)

 本来、社会保障制度は社会的弱者に対してこそ、しっかりとした支えになるべきであるのに、わが国の現状はそうはなっていない。その実態は、あまりにも無慈悲で冷酷である。
 しかも現行の制度は、不完全な上に、とりわけ年金、医療、介護、育児、教育は、なぜか財政破綻に瀕している。安心して生涯を全うできないのではないかという将来不安や不満が、常に国民の中に渦巻いている。
 そもそも社会保障制度とは原理的に一体何であり、どうあるべきなのか。そもそも論から考えるためにも、大切なことなので、まずこのことをおさえることからはじめたい。

1.原理レベルから考える「自助、共助、公助」

 今日私たちは残念ながら、人類が自然権の承認から出発し、数世紀にわたって鋭意かちとってきた、1848年のフランスにおける2月革命に象徴される理念、自由・平等・友愛の精神からは、はるかに遠いところにまで後退したと言わざるをえない。

十字架を持った怪鳥(銅版画調・モノクロ)

 不思議なことに、近年、特に為政者サイドからは、「自立と共生」とか、「自助、共助、公助」という言葉がとみに使われるようになってきた。
 「自立と共生」とは、人類が長きにわたる苦難の歴史の末に到達した、重くて崇高な理念である自由・平等・友愛から導き出される概念であり、その凝縮され、集約された表現であると言ってもいい。
 それは、人類の崇高な目標であるとともに、突き詰めていけば、そこには「個」と「共生」という二律背反のジレンマが常に内在していることに気づく。

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